小話1 |
こいつの突拍子も無い発言には、いいかげん慣れたつもりだった。 けど。 「瑛くんの髪って、白髪が目立たなさそうだよね」 ――なんなんだ、それは。 ポカッ。 「いたっ!いきなり何するの!」 「それはこっちのセリフだボケ」 即座に放たれた俺のチョップをまともに受けて、陽菜はジト目で俺を見た。ふふん、相変わらずトロい奴め。 「この若さ溢れる好青年に向かって『白髪が目立たなさそう』とは、なんちゅう失礼な奴だ。お父さんはおまえをそんな子に育てた覚えはありません」 「育てられた覚えも無ければ、好青年ってのにも素直に頷けないんだけど……」 「もう一発喰らっとくか?」 「えええ遠慮します!!」 振り上げた俺の手にビクついて、陽菜は慌てて体を引く。おいこら、後ろの席にぶつかるぞ……って、ほら見ろ、案の定ぶつかってこれまた慌ててその席に座ってた他のお客に謝ってやがる。ホント、見てて飽きない奴だよな、こいつ。 「で?」 「えっ?」 体勢を整え直した陽菜に、俺は手元のコーヒーを一口飲んでから訊ねた。あ、ここのコーヒー、割と美味い。 「『えっ?』じゃないだろ。何なんだ、さっきの白髪云々は。どっからそんな電波受信したんだ、おまえのカオスな頭は」 「電波とかカオスとかって、瑛くんの方が失礼なんだけど」 ぶーたれつつも、さすがに自分の先刻の発言が唐突だったと理解したのか、陽菜は正直に話し始めた。 何でもここ最近、陽菜の母親が白髪が生えたとか増えたとかで家で嘆いてたのを、向かい側に座ってる俺の髪を見たら何となーく思い出して、そこから俺の髪の色に発想が飛躍したらしい。 「なるほど。経過は解った」 「ほら、うちのお母さんって童顔でしょ?その顔で白髪が生えてると、違和感あってやだーって気分なんだって」 「違和感」 「そう違和感。年相応な顔立ちだったら気にしなかったのにーって」 確かにこいつの母親はこいつの母親らしい幼い顔立ちだけど(ていうか、白髪の有無より違和感の方を気にするって辺りが、実にこいつの母親らしい。そんなに年行ってる訳じゃないし、まず白髪自体を嫌がりそうだが)。 「で、そんな事をふと思い出して、そう言えば瑛くんの髪はサーフィンやってる所為もあって色が薄いから、多少白髪が生えても気にならなくて済みそうだなーって。白髪だらけになっても、マスターみたいな感じかなー、だったらやっぱり気にならなさそうだなーって、そう思ったわけです」 「まあな。俺、爺ちゃん似だし、あんな感じになるとは思うけど」 「で、羨ましいなって」 「は?羨ましい?」 「だって、ほら、わたしの髪。色が濃いんだもん」 つん、と陽菜は自分の髪を軽く引っ張った。 「わたしって、外見もそうだけど、体質とかもお母さんそっくりなんだよね。って事は、若白髪が出る可能性大なんだよ。この顔と髪に白髪混じってたら、絶対おかしいよなぁって」 眉をへにょっと曲げて、嘆息する。 「おまえなあ……今の内から何を心配してんだか」 「瑛くんの家系が若ハゲの家系だったら理解出来ると思うよ」 「…………あー……そうかも」 若ハゲは嫌だ。すごく。 けど、やっぱりこいつのこの悩みは微妙に理解しきれない訳で。 (やっぱり今の内から何心配してんだって気分なんだけど。そもそも大体そんなに悩む事か?) そんな心境で、向かい側に座る嘆息しっ放しの陽菜を眺める。 眺めていたら、このふにょっとした小動物が何となく放っとけなくて、ふと考えついた。 「ま、そうなったらそうなったで、お父さんが何とかしてやるから、あんまりヘコたれてんな。お母さんの髪を染めてやるくらい、朝飯前だし」 何しろ器用だからな、俺って。 コーヒーを飲みながら何気なく言ったセリフに、陽菜はへにょってた眉を上げて、しばしキョトンとした顔で俺を見返した。 (なんでキョトン?) 視界の端で陽菜の顔を捉えながら頭に疑問符を浮かべると。 「……お父さん」 「なんだー?」 「お父さんって、瑛くん?」 「当たり前だろ」 「お母さんって、わたし?」 しつこいぞ、おい。 「他に誰かいるか?」 そう返すと、陽菜は更にキョトンとした顔で続けた。 「……えっと。お父さんが瑛くんで、お母さんがわたしって、それ、どういうシチュエーション?」 「え?…………っ――――!!」 のほほんとコーヒーに舌鼓を打ってた俺は、陽菜のそのセリフで一気に我に帰った。 慌てて見返すと、キョトンとした顔のままで軽く首を傾げて不思議そうにこちらを見ている、それはそれは愛らしい生き物が一匹。 (〜〜〜〜っておまえその仕草はだから反則だって!!) 我知らず熱くなる顔を隠すように手で隠すが、陽菜はそれに気付かないように、はて、といった風情で考え込んだ。ああもうだからその口元に指持ってく仕草も勘弁しろって! 「えーと、いつもの設定だとお父さんが瑛くんで娘がわたしなんだから……この場合、わたしがお母さんで、瑛くんが息子?で、いいのかな?」 「そ、そう!さっきのは間違い!ほら、やっぱり子供たるもの、年老いた母親には孝行しなくちゃいけないからな!」 「年老いた……って何それ、瑛くんの方が誕生日早いじゃないーっ!わたしがお婆さんなら瑛くんはもっともっとしわくちゃなハゲちょろけのお爺ちゃんでしょ!」 「なっ!おまえな、そういう事いう子にはお父さん鉄拳制裁だ!」 「ちょっとひどい!お母さんに暴力ふるって良いんですか息子さん!」 「無効だ無効、そんな設定!」 そんなこんなで、騒ぎを聞きつけた店員に止められるまでギャーギャーと喚き合い、店員に怒られた事で店を出てからも喚き合い。 帰途に付く頃にはスッカリ俺の失言を忘れた様子の陽菜を見て、俺はこっそり安堵の息を吐いた。 (別に、何ら嘘が混じってた訳じゃない、けどさ) 『お父さんが瑛くんで、お母さんがわたしって、それ、どういうシチュエーション?』 そう問われて、瞬時に『そういうシチュエーション』を無意識に想定してた自分に、物凄く恥ずかしくなったから。 (だから、言ってやんない) 白髪が生えようが何だろうが、おまえが変わるわけない、なんて。 (白髪まみれになろうが、おまえが可愛いって思うこの気持ちが変わるわけない――なんて) 絶対に、今は言ってやんない。 そんな事を考えた途端に再び無性に恥ずかしくなって。 腹いせに俺はプリプリ歩く小動物の頭を軽く小突いて、いつものように怒鳴られた。 |