愛と青春のぼくたち |
何となく、そういう関係になって。 何となく、そういう関係を続けて。 何となく、そういう距離を保って。 そんな状態にスッカリ慣れ切ってたもんだから。 本当はどうだったんだと問われても、解らなくなった。 「そういえば、尽」 実力テストも近いある日曜の午後、オレの部屋で一緒に勉強してた玉緒が出し抜けに口を開いた。 「なんだよ、数学か?」 判らない問題でもあったかと顔を上げたオレに、玉緒は下を向いたまま首を振った。質問するなら顔くらい上げろっての、と思いきや。 「そういえば、の接続詞で数学の問題なわけないだろう?その接続詞は連想もしくは突然の記憶回帰による話題の転換に使われるのが一般的だと思うけど。しかも僕が今やってるの物理だし」 ……コイツめ。山田とよく喋るようになってから、オレへの毒吐きに躊躇いというのを覚えなくなって来たよな。頭痛いっつの。 「あーわかったわかった、御託はいいから。で、そういえば?」 「そういえば――――尽と日比谷さんって、その後どこまで進んだの?」 ズコッ。 その瞬間のオレの心情を表すとしたらまさにソレ。心情と同様に崩れた姿勢を立て直し、オレは眉をひそめた。 「……なんだよいきなり」 「いや、単なる好奇心」 言ってから、玉緒はやっとノートに向けていた顔を上げた。 「付き合い始めたのが去年の秋頃だろう?その間姫抱っこ対戦や虚しさ炸裂バレンタインデーもあったけど、どうやらその他には特別何もなかったみたいだし。さすがに半年以上も経って進展無しってのは、尽の過去からして有り得ないから、気になって」 「オレの過去って」 「中1の時サッカー部の練習試合で知り合った他校のマネージャーと会ったその日の内にキスしてたとか、中3の時どう見ても素人さんじゃない年上の女性と深夜の繁華街に消えていったとか、えーとそれから高1の時……」 「だあぁーーーッ!!なんで知ってんだそんなの!?」 他の誰に聞かれてる訳でもないのに、オレは慌てて玉緒のセリフを遮った。 「バレてないと思ってたわけ?おめでたいなぁ」 あのな、そうホケホケと笑いながら言うなよな。てかマジでなんで知ってんだよおまえ!……いやまあオレって顔が広いから、漏れる可能性は十二分にあるけどさ。けどナニユエそれが回りまわって、よりによってこいつに辿り着くんだ。 って、今現在の問題はそれではなく! 「…………まだだよ。アレもコレもソレも、おまえが想像してるような事はぜーんぶ、な」 ぶっきらぼうに言って、オレはとっとと顔を背けた。 マジな話、日比谷とは恋人らしい展開になった事はほとんど無い。ウソついたって無意味なので、正直に答えたまでだ。 なぜかと言われたら、そりゃ、そういう雰囲気になること自体がほとんど無いから、だとしか言えないんだけどさ。そこ、情けないとか言うな。 「へぇ…………ビックリ」 「そーは見えねーけど?」 いつもながらに淡白な笑顔が実にまあステキですこと。 「驚き過ぎると逆にリアクションを取れないものなんだよ」 ウソつけ。 「で?好奇心が満たされたんだから、これでこの話は終わりでいいよな」 殊コレに関しては玉緒と談義するような内容ではないので(そーゆー話題は他の奴と話す方が楽……というか精神的に安全)、オレはさっさとこの話題を打ち切る事にした。 だが。 「まあ、好奇心に関係する件ではね」 が、それで引き下がるような玉緒じゃない事は……百も承知だよチクショウ。 「『では』……って事は、まだ何かあんのかよ」 「うん。尽ってさ――――日比谷さんの事、本当に好きなの?」 「………………は?」 いきなり問われて、動きが止まる。 何言ってんだ、コイツ? 「僕は部外者だけど、だからこそかな。時々見てて違和感を感じるんだよね。本当に尽は彼女の事が好きなんだろうかって」 「玉緒、おまえ、何を……」 「尽はさ、ずっと先生にとらわれてたから」 先生ってのはオレの姉ちゃんの事だ。オレが実の姉である彼女に長い間……その、惚れてたってのは、この玉緒や日比谷、それから日比谷の友人の山田には知られてる。あ、今はもうカンペキ吹っ切ったけど。 「好きな人、って言うんじゃなくても、庇護者としての先生の存在が当たり前にあったじゃない。けど、先生は葉月さんと結婚したし、尽の一番身近な存在じゃなくなった」 「だから結局何が言いたいんだよ」 過程を延々述べてからやっと結論に辿り着くタチの玉緒の言葉に苛立って、オレは先を促した。 「……尽、日比谷さんを恋人じゃなくて、新しい庇護者だと思ったりしてない?」 「………………は?」 再びオレの動きが止まる。 庇護者?何だそれ? しかも日比谷が??? 「先生が結婚した辺りから、尽は日比谷さんと付き合い始めた。それって、単に先生に替わる対象を置き換えただけなんじゃないかって、時々思うんだよ」 「そ……んな訳ないだろ!!」 「じゃあ、どうして日比谷さんに何もしないの?」 イヤだからそういう事を淡々と言うな! 「あのなぁ、おまえ何友人に対してそそのかすような事言ってんだよ!相手日比谷だぞ!?下手に手を出してみろ、即座に右ストレート喰らうわい!!」 「その上左アッパーもお見舞いされて、夜空の星になるのがオチだよね」 「解ってんなら言うな!!」 「ふーん、じゃあ日比谷さんの気持ちを大事にしてるって事で、解釈しといていいんだ?」 「そーだよ!」 「なら良いんだけど。……でも」 「まだあるのかよ」 「あるよ。僕だって日比谷さんが好きだし」 「知ってる」 友達としてもそれ以上としてもだってのは、とっくの昔にな。弱虫だった玉緒には、当時の日比谷はすごく眩しい存在だったらしいから。……今こいつが弱いかどうかはともかく。 「それなら解るよね?もし、尽が日比谷さんっていう女の子個人を好きで一緒にいるんじゃなかったら、その時は――――」 瞬間、玉緒の顔が能面のように凍りついて、オレを見る目が心底底冷えするものに変わった。 「…………その時は……?」 思わず息を飲んで玉緒の顔を睨み返す――と、奴はいつものようににっこりと笑った。 「聞くと後悔するんじゃないかな?さ、勉強の続き続き」 ……確かに後悔しそうな気がしたので、オレは大人しく玉緒に倣ってノートに目を落とした。 もっとも、ほとんど頭に入らなかったけど。 ったく何だってんだよ。 オレが日比谷を庇護者として見てるって?んなワケあるかっつーの! 大体姉ちゃんの時だって、どっちかって言うとオレの方が保護者じゃん。ボケッとしてドジばっかして変なトコ不器用で、いっつもフォローしてたのオレじゃんか。 それに比べて日比谷はどーだ。桁外れに勝気だけど、それに見合うくらいの努力も才能もあって、何でも一人でこなせるし、こっちの方がドツキ蹴飛ばされてるくらいだろーが。どうやったら置き換え対象になるんだっつーの。 …………ただ。 本当に好きかって改めて訊かれると、それは……即答出来ないってのは、ホントかも知れない。 そりゃさ、顔は可愛い方だと思う。ウン、整ってるよな(オレには負けるけど)。 身長はどっちかって言うと小柄だけど、あれで結構出るとこ出てるし、いい脚してんだよな(ほとんど筋肉だけど)。 性格だってサバサバしてて後に引きずるとこ無いし、機転も利くから会話してて楽しい(たまに毒吐くし拳出るけど)。 オレが落ち込んだりしてても、いつの間にか引きずられて、笑ったり怒ったりさせられる、ものすごいパワー持ってる。 だから絶対に、日比谷が好きじゃない、なんて事は無いんだ。 けど。 何となく、そういう関係になって。 何となく、そういう関係を続けて。 何となく、そういう距離を保って。 そんな状態にスッカリ慣れ切ってたもんだから。 本当はどうだったんだと問われても、解らなくなった。 (そうか?オレ) 本当に解んないのか? 確かに、玉緒が言ったようなその手の経験が、オレには無いわけじゃない。 小学生の頃は単に興味。イイ男にならんが為の勉強ってのもあったけど、一番はそれ。それを引きずりつつ中学の時に思春期に突入したから、高校に至るまでそのままの流れで何となく……ってとこ。もっとも姉ちゃんへの気持ちを自覚して、それを隠蔽する手段にしてた部分もなきにしもあらず。寄る者拒まずで付き合ってた。だから『過去の悪行』と言われても、事実なもんであんまり言い返せないんだよな、コレに関しては(そんでも後々の事考えて、一応本気の子や同じ学校の子は避けてたつもり)。 根っこの部分には姉ちゃんがいたとはいえ、他の女の子にまったくそそられないかって言うと、それはまた別で。ホラ、やっぱその辺はオレも男だからさ、仕方ないと思うワケ。 けど、日比谷は。 アイツだけは、なんか別なんだよな。 あの性格でこの腐れ縁で、色気のイの字もなさそうな関係だったのに、それが心地好くてさ。直球だろうと変化球だろうと、投げたら見事に打ち返してくれるもんだから、そういう色気抜きの関係がかえって楽しくて。かと思えばオレが落ち込んでると甘やかしてくれたりするし。 …………ん? (そういやオレ、日比谷の事、甘やかした記憶、あったっけ……?) ふと気がついて思い返してみる……が、初対面からこっち、今の今まであまり『女の子』として甘やかした事がない、ような気がする。 (いや待て、無いワケないよな。重い物持ってやるとか、高い所の資料取ってやるとか……ってそんなの女の子相手じゃなくてもやるじゃんオレ!) セルフツッコミをしながら、我ながらちょっと愕然とした。 甘やかされてるのは解る。自覚もしてる。 けど甘やかした覚えは無い。張り倒された覚えはあるが、甘えられた事自体が記憶にない。 更に言えば…………。 「オレ……好きって言ったっけ……?」 女として、『そういう』意味で。 「「「…………はい?」」」 思わず出た独り言に複数の不審な返事が返って来て、顔を上げた。 「会長、どうかしました……?」 副会長が実に怪訝そうな表情でオレの顔を覗き込んで、それでようやくここが生徒会室で、役員に囲まれての業務の真っ最中だった事を思い出した。 「あ、いやなんでも……って、オレ、今、何やってた?」 「……書類睨みながら頭抱えてウンウン唸ってたから、何か難しい懸案でもあるのかと思ってたんですけど」 副会長が言うと、周りの役員も頷く。 うわ、オレ結構今頭ん中ヤバイ……? 現状を鑑みて、一瞬にして血の気が引いた。どうやらさっきの一言以外口には出してないようだけど……それでもヤバイだろ、オレ。 「あ、あ〜……いや、うん、まあ、難しいって言えば難しい……のか?あ、いやいや、別に生徒会関連の事じゃないから気にすんな」 「はぁ……」 「そうそう。…………そういえば、議長どこ行ったんだ?」 議長、ってのは日比谷の事。見れば役員のほとんどが在室してるのだが、あいつの姿は無い。 「今日は雑務だけで大して仕事も無いからって、図書室行きましたよ」 「そっか。……悪い。ちょっとオレ、今日はもう帰るわ。しっかり休んで頭クリアーにして来る……」 「はぁ……お大事に……」 力無く立ち上がって部屋を出る。背後でヒソヒソと声が聞こえたけど、耳にも入れずにトボトボと廊下を歩く事に専念した。 (ったく、玉緒があんな事言うから……!) そうは思ったものの、言われなかったらこの居心地のいい状態を崩す事もなく、それどころか自省する事もなく過ぎていたかも知れないのは事実だ。 玉緒の言いたい事は解る。日比谷に中途半端な期待を持たせたままでいるなって事だ。 日比谷は身近な人間をとことん甘やかしてくれる懐の大きさを持ってるけど、それに甘えるなって言いたいんだ、玉緒の奴は。あいつは日比谷に対して人間的にも強い好意を持ってるから、そういうのが放っておけないんだろう。 「……甘えてるもんなぁ、実際」 零れた溜息が我ながら情けない。爽やかな今の季節にはホントそぐわない。 去年のあの一連の事態、日比谷が甘やかしてくれなかったら――受け止めてくれなかったら、多分オレは未だに引きずってたんだと思う。 だからってそれに甘えきってちゃダメだってのに、な。 校舎の端に行きついて、そこにある図書室に入ると、いつものように何人もの生徒が読書や勉強に興じていた。 時間がやや遅いし、思ったよりは人が少ないのを確認してから、オレは静かに奥まった席へ行く。ドアからも遠く死角になって誰の邪魔にもならないので、日比谷の指定席は大抵ここなのだ。 予想通りそこには日比谷が座っていて、けどひとつ予想とは違って彼女はシャーペンを持ちながら突っ伏して寝ていた。 「オイオイ、スゴイ根性だな〜」 シャーペンの先はまさに突っ伏す直前まで計算式が記述されていた事を物語る勢いで止まっていて、次の数字を書くが如く手がピクピク動いている。 「うへぇ、もうこんなトコまで進んでんのかよ。マジで根性で勉強してるって感じだな」 医学部志望とあって、日比谷の学習進度とレベルはかなりのものだ。指定された問題集はおろか、とにかくプラスになると思ったら何でもやる。手辺り次第消化する。そして決してサボったり躓いたところをそのままにしたりしない。バイタリティーとスタミナの権化、そして無類の戦い好きだからこそ出来る荒業だ。 「でもさすがにテスト前だし、少しは疲れてるみたいだな。しゃーないか」 オレは日比谷の向かいの席に腰掛けて、そのまま頬杖をついて彼女を見る。 季節がら図書室の窓は開けられていて、そよそよとした風が室内の空気を自然のままに入れ替える。それにつれ、日比谷の髪がサラリと揺れた。 ……可愛い、と言えばやっぱ可愛いよな。 普段は生気が必要以上に有り余ってるからそんなに気が付かないけど、こうやって眠ってるとこなんか見てると、やっぱり『女の子』な作りで。 夕方の光が留め損ねたカーテン越しに差し込むと、そのたびに纏う色が柔らかく変わって「ああ、こいつもちゃんと女の子だよな」ってつくづく思う。 筋肉はついてるけど、肩は細いし、全体的なラインだって細い。袖口から覗いてる手だって、オレの物とは比べものにならないほど小さくてしなやかで、柔らかい。 (じゃあ、どうしてなんだ?) 他の子には間違いなく『女』を感じるのと同時に別の欲情だって湧くのに、どうして日比谷には湧かないんだ? ……姉ちゃんの時は、触れたいと思ってた。触れて、抱きしめて、それから……と、ヤバイヤバイこれ以上は公序良俗に反するから自主規制っと。まぁしなかったし出来なかったけど。 それなのに、やっぱり日比谷は違って。 (好きは好きでも、種類が違うってことか?) 家族愛とか、人類愛とか、そんな類? 「……わっかんねぇ……」 もし、今が。単にこいつに期待させてる状態だとしたら。 「……とりあえず、オレってサイテーだなって事だよな……」 そんなオレの呟きが聞こえたのかどうか。 「…………ん……?」 日比谷がうっすらと目を開けて、ゆっくり顔を上げてオレを視界に認めた。 「……つくしくん……?」 「よ。起きたか?」 空いてる片手を軽く上げて挨拶すると、日比谷の顔が一気に正気に戻った。 「うわ、私寝てた!?やば……涎垂れてないかな」 「今更ヨダレ見せたところでゲンメツする仲じゃないだろーが」 「そっちじゃなくてノート。ふやけたら使い物にならないでしょ。――良かった、大丈夫だ」 「左様ですか」 起きた途端の"らしい"セリフに呆れて溜息が出た。 「どうしたの?生徒会室で仕事中だったんじゃないの?」 確認したと同時に問題を解きにかかる日比谷が、計算式の続きを記述しながら訊いてきた。いつもながら素早い切り替わり。心の中で拍手。 「ん〜……ちょっと調子出なくてさ。今はそんなに忙しくないから、先帰るっつって出て来た」 「え?……大丈夫なの?」 「体は健康。単にやる気パラメータの不調ってだけ」 視線を寄越して訊ねる日比谷に、オレは肩をすくめて苦笑した。 「……ならいいけど」 「そ。あとどんくらいで終わる?ソレ」 オレが日比谷の問題集を示すと、すぐに答えが返ってきた。 「このページ全部だから、あと2問かな」 「じゃ、待ってる。一緒に帰ろ」 「ん、いいわよ」 そう言って日比谷は再び問題集との脳内バトルを再開した。カリカリ、と絶え間ないシャーペンの音が図書室の一角に小さく響く。その間オレは頬杖をついたまま、彼女の姿を眺めていた。 いつもなら決して不快じゃない静寂。今日はどうしても気になってしまって。 「なぁ……」 気が付いたら、オレの口が勝手に動いてた。 「何?」 「もし……もしオレが、おまえの事を本当に好きじゃないとしたら、どうする?」 ポツリと漏らした言葉に、日比谷の手が止まる。 そしてゆっくりと顔を上げてオレの目を見返した。 (――――しまった) 少し目を見開いた程度の彼女の瞳には読み切れない色が浮かんでいて、オレは慌てて自分の発言を取り消そうとした。 けど、その前に。 「――――場所、移動しよ」 機先を制するように言うが早いか、日比谷は筆記用具をしまい、ノートと参考書をパタンと閉じて立ち上がった。 「日比谷?」 「迷惑になるでしょ、図書室なんだから」 小さな声でそう言って、勉強道具一式とついでにオレの腕を取る。なので俺も慌てて立って椅子を仕舞った。 図書室を出て、無言のまま階段を上がり、屋上に到達する。時間が時間なだけに、さすがに誰もいなかった。 「夕方だからちょっと寒いけど、誰もいないから構わないわよね」 日比谷はひとつ大きく深呼吸をしてから振り返り、改めてオレを見上げた。 「で?玉緒君に何言われたの?」 「……へ?オレ、玉緒がどうこうって言ったっけ?」 「言ってないけど、解るわよ」 「なんで」 「簡単な消去法よ。尽君がそんな顔する時は、大抵身近な人間の言動が影響してるから」 「そんな顔……ってどんなだよ?」 「ダンボールに入れて捨てられた仔犬、しかも雨降りのオプション付き」 「……チワワかよ、オレ……」 某金融会社のCMがアリアリと脳裏に浮かんで、自分でも解るほど顔が歪んだ。それを見て日比谷が咳払いをする。 「コホン、まあ、それはともかく。尽君が本当の意味で『身近』だと認めてる人間って実は少ないでしょ。ご家族や葉月さん、同年代なら玉緒君や私、山田は微妙かな。そしてさっきの発言内容からして、口を挟むとしたら同年代で内部事情も把握してそうな玉緒君か私か山田。けど私はあんな発言させる言動に身に覚えがないし、山田だってそんな人様の恋愛沙汰に首突っ込む趣味はない。やるとしたらからかう程度、少なくとも尽君には。となれば、残るのは玉緒君一人。いかが?」 「お見それしました」 流れるような解説に、思わず拍手。 「ホント解ってるよな、オレの事」 「解っちゃってますけどね、発言に至る経緯はさすがに判らないわよ。先に言っておくけど、その経緯次第によっては右ストレートお見舞いするから、覚悟して話してちょうだい」 「…………やっぱ話さなきゃダメか」 「左アッパーもつけようか?」 「御免被るって」 大人しく降参して、オレは玉緒との例の会話を教えた。 さっきの問題発言を口に出した瞬間に、既にこいつに甘えるのが決定してたようなもんだから、今更隠す必要もない。というより、当事者なんだから言わない方がおかしいワケで。 「…………玉緒君もお節介だなぁ」 話を聞いた日比谷の第一声が、それだった。 「……怒ってるか?」 「というより、呆れてるわよ。大体、尽君もなんでそこで適当に話逸らさないかなぁ」 「玉緒にその手が通じると思うか?」 「ま、思わないけど」 フェンスに寄りかかりながら、図らずも2つの嘆息が同時に零れた。 「……日比谷はどうなわけ?」 「は?何が」 「オレが日比谷に『そういうコト』しない事について、おまえ自身はどう思ってるわけ?」 そう訊くと、日比谷は空を見上げて考えるように眉をひそめた。 「……別に、ねぇ。客観的に、私の性格知っててそれでも欲情するって、なかなかの強者だと思うからなぁ」 「自分で言うかフツー。つーか欲情ってサラリと言うなよ」 「だってその通りでしょ。そりゃあ周りはその手の話題で盛り上がって騒いでるお嬢さん方も多いし、私自身興味が全くないかって言ったら嘘だけど、別に焦ってる訳でもないし」 「半年以上手を出されなくて、キスさえなくても、か?」 「先生の弟には言われたくないなー」 「……確かに」 日比谷がケラケラ笑うのにつられて、オレも大人しく頷いた。 どう見ても付き合ってるのに、本人いわく付き合ってないわ手も出してないわだった我が姉及び義兄の高校時代を思えば、オレの現状がおかしいとは一概に言えないような気が……しないでもない。 「大体、キスもしてくれないからって、不安がって疑心暗鬼になってギクシャクするような女だったら、多分今、こうやって尽君の隣にいるのは違う女の子よ。少なくとも私じゃないわね」 「そうか?……って、そうかも」 「そうそう。――――あのね、言っとくけど」 「ん?」 「これでも私は現状に満足してるの。さっきの尽君の発言、正直言って一瞬ムッと来たけど、でも尽君の顔見た瞬間すぐに違う考えに変わったわ」 「どんな?」 「これだけトホホな顔して悩むくらいには、尽君の中で私の存在は大きくなってるんだって」 軽く手を伸ばして、日比谷はオレの額をつつく。 「…………日比谷」 トホホな顔はないだろ……。 「以前言わなかったっけ?長期戦でジワジワ心のスキマを侵食してくからねって。狙い通りで何よりな心境なのよ。それに私はまず第一に対等でいたいって思うから、女として魅力を感じられなくても、人間として尽君に一番近い場所にいられるなら構わないの」 嘘のない、真っ直ぐな視線。日比谷らしい、日比谷にしかない視線で、ハッキリとそう言う。 ……ああもう、こいつのこの視線に弱いんだよな、オレ。言葉なくす。 「……さすが、オトコマエなだけあるなぁ」 「お褒めの言葉ありがとう。……それに、ね」 言葉を切って、日比谷がオレの顔を覗きこんだ。 夕陽を浴びたまつげが、いつもよりキラキラ輝いて、ふと揺らめく。 (……キレイだな) 素直に、そう思った。 思った――――その時には。 「!!?」 一瞬気が取られて、その意識が戻った時には。 オレのネクタイは体ごと日比谷の襟元と同じ高さに引き寄せられていて。 自分の唇に彼女の同じものが触れている、と理解した時にはもはやそれは離れてしまっていて。 ゆっくりと開かれていく彼女の瞳に――――ただ、呆気に取られた自分の顔が映っていた。 「……プッ……アッハ、アハハハハハ!!」 オレの顔を見た瞬間、いきなり手を離して笑い転げた日比谷に、オレは意識を取り戻させられた。 「な、何笑ってんだよ!?」 「だって、その間抜けた顔、すごくおかしいんだもの!アッハハハハハ!!」 腹を抱えて笑う日比谷に、自分が今仕掛けられた事を完全に理解して血が上った。 「おまえなぁ!いきなり不意打ちで来といて――――」 「だって尽君、昔さんざんキスなんか慣れてるとか吹聴しといて、その顔!いやもう、笑うしかないでしょ、これは!」 「笑うな!!」 火照りまくった顔を誤魔化すように叫んだけど、日比谷相手じゃ効き目はなく、仕方ないのでプイッと顔を背けてみた。 なんなんだこいつは!さっきは別に焦ってないとか言ってたくせに! そりゃまあキスは慣れてるぞ?これでも引く手数多のイイ男、そういう誘いは割り切ってる相手に散々してるよああそうだよしまくってるよ!! けど、そういう相手と、日比谷は、違うから――――。 (違う――――) そうだよ、違うんだよ。 真っ直ぐに立って、前を見て、ガンガン進んでくこいつは、他の誰よりも――――そう、綺麗で。 (だから) 触れると。 触れてしまったら。 もしかしたら、絡みついて、纏わりついて、その歩みを止めてしまったらって。 そう、思って。 「――――でもいいよ、今のでちゃんと解ったから」 未だ笑いゆえに涙目の日比谷がなんだか嬉しそうに言って、オレはその言葉に振り返った。 「え?」 「その顔色で、解っちゃったってこと。あのね、私は尽君を信じてるの」 「顔色……?それに、信じてるって、何を?」 「尽君は、何とも思ってない人にこんな事されても、顔色ひとつ変わらない人なのよ?」 「……だっけ?」 覚えが、というか自覚してなかった。けど、日比谷がウソなんかつくはずもないし。 「そうよ。私、さっき言ったじゃない。『尽君がそんな顔する時は、大抵身近な人間の言動が影響してるから』って。不意打ちだろうと何だろうと、今みたいな、それこそ顔を真っ赤にするような反応してくれた事で、ちゃんと私の事好きでいてくれてるって、解る。だから――――あの失礼な発言は許してあげる」 そう言って、それはそれは嬉しそうに笑うから。 笑ってくれる、もんだから。 「…………おまえって、ホンットに……」 頭を抱えてしゃがみこんだオレに、同じように日比谷がしゃがみこんで首をひねった。 「『ホンットに』?何?」 「…………ホンットに、『イイ女』だよ」 オレには勿体無いくらいの、な。 苦笑しながらのオレの答えを聞いて、日比谷はもっと楽しそうに笑った。 「尽君専用のね」 「ウソつけ。自分のためだろ?その磨きっぷりは」 「ついでに尽君にも対応してるって事よ。いいじゃない、一石二鳥で」 日比谷の笑顔につられて、オレもやっと力を抜いて笑えた。そうして同じ高さにある彼女の頭を引き寄せる。 「……目、瞑れよ」 「瞑って欲しい?」 その言葉にオレは少し考える。けど、結局すぐに降参した。 「……瞑って下さい、お姫サマ」 「王子サマのお望みのままに」 そう言って軽く瞼を伏せたその顔が。 とても、綺麗だと、思った。 そして。 彼女の温度も。 ……あ、そっか。 以前も思ったんだ。綺麗だって。 『――――あなたは、この私が惚れた男なんだから!!』 教会の前で、今みたいに夕陽が照らす時間に、顔を真っ赤にして叫んだ彼女。 真っ直ぐに向けられる視線が強く心に届いて、風穴を開けて、飛び込んできて。 綺麗だって、思ったんだ。 だからだったんだ。触れられなかったのは。『そういう意味』で触れたい、と思わなかったのは。 ……綺麗だから。だから、触れるのが怖かった。 触れたくないわけじゃないけど、それ以上に綺麗な姿を見てる方がずっと好きで。 だからなんだ。触れちゃいけない、なんてセーブしてたのは。 そうだよ、だったら、オレは――――。 「……好きだよ、歩」 キスの合間に、囁くように言った言葉には。 「知ってる」 同じように囁く、少し照れたような返事が返って来て。 「私もだもの」 嬉しい、と思った。 その後に浮かべたこいつの笑顔がなんか一息ついた感じで、それがまた更に嬉しかったり、した。 「……ちなみに訊きたいんだけど」 唇が完全に離れてから、オレはふと気になっていた事を訊ねた。 「何?」 「さっきおまえが言った『それにね』の続き。あれって、その後に言った事に対する接続詞でいいわけ?なーんか含む物を感じたんだけど」 一瞬きょとんとして、でもすぐに面白そうな表情に日比谷の顔が変わった。 「ああ、あれ?フフフ、なんだと思う?」 「解んないから訊いたんだろ」 重ねて問うと、日比谷はまさに『ニヤリ』と表現するのが相応しい表情になった。 「――――我慢し切れなくなったら、こっちから襲うから気にするな、って事」 あまりにもサラリと言ってのけるもんだから、オレは思わず言葉を無くして彼女に見入ってしまった。 「…………は?」 「攻撃は最大の防御だって言うじゃない?それに」 受身なのは性に合わないのよ、とにっこり笑った日比谷に、オレはつくづくコイツには敵わない、と思った。 っていうか。 ……オレって…………『受け』なワケ……? その晩、オレは玉緒に電話をした。 「――――ま、そういう訳だから。おまえの期待に沿えなくて悪いけど、おまえの危惧してたような事は一切ないんでせいぜい安心しろよ」 またチクチク言われたんじゃやってられないからな。念を押すように言うと、通話口から実につまんなそうな溜息が聞こえてきた。 『女の子に言われてようやく自覚出来るなんて、情けない話だよね。本当に』 「どーとでも言え」 『何を僕相手に勝ち誇ってるの。尽も好きだよね、無駄な事』 「おまえも好きだよな、毒吐くの」 『尽の精神面を鍛えてあげてるんだよ』 「今さらいらねーっての。日比谷だけで十分」 『あっそ。それで?』 「それで、って何が」 『まさかそんな事報告する為だけに、勉強中の僕に電話かけて来たの?迷惑だなって思って』 「……おまえね。言っとくけど、アイツは絶対おまえにだけはやらないからな。解ってんだろうな?」 『そんなの、日比谷さん次第でしょう。ちゃんと好きだって自覚したら今度は独占欲?醜いなぁ。彼女が尽なんかを好きじゃなかったら、僕だってこんなに心配しないよ』 「まったくあー言えばこー言うっつーか……。とにかく!今んトコ右ストレートも左アッパーもなくて済みそうなんで、それだけは覚えとけ!以上!」 『……ふーん。つまらないけど、日比谷さんがそれでいいなら仕方ないか。くれぐれも彼女を裏切る真似はしないようにね。尽はやりかねないから』 ……何でオレ未だにコイツと友達やってんだろ。時々解らん。いや、最近とみに、だけど。 「解ってるっての。一言多いわい。じゃーな」 『――――あ、そういえば、尽』 これ以上の毒を吐かれる前に電話を切ろうとして、しかし玉緒の声が聞こえたのでもう一度携帯を近づけた。 大したことでない話題を話す時の口調だったので、そのつもりで返事を返した。 「なんだよ」 返した、のだが。 『ずっと言うの忘れてたんだけど――――日比谷さんのファーストキスの相手って、僕なんだよね』 ピキン。 「………………は?」 『まぁ小学生の頃の話だし、事故だったんだけど。一応報告しとこうと思って。それじゃ』 「ちょ……って、待て玉緒何だよその話――――って、おい!?玉緒、オイ!!」 一瞬どこぞの世界にすっ飛んでた自分の意識が戻ってきた時には、既に電話は不通になっていて。 その後何度かけ直しても、無感情な『只今電源を切っております』のアナウンスが耳に虚しく響くだけで。 もはや早寝早起きゆえに既に就寝済みであるはずの日比谷を起こすわけにもいかず、オレは悶々とその夜を過ごす羽目になった。 |