隣の席 |
「……Incroyable(信じられない)」 ザワザワと微妙に抑え目の喧騒が教室に響く中、自分の席に近寄り、しかしその隣の席に座る男子生徒を見て、須藤は言葉通り信じられない物を見るような顔付きで呟いた。 「よりによってあなたが!冗談じゃないわ!」 「……それはこっちのセリフだ。文句があるなら、クジに言えよ」 須藤を認めた男子生徒――葉月も、負けじと苦虫を噛み潰したような顔で返す。 時は2004年5月。場所ははばたき学園高等部3年A組、通称氷室学級。 新しいクラスにも慣れた頃、ホームルームの時間を利用して、教室内ではクジによる席替えが行われていた。 氷室が果たしてそんなランダム要素万歳の決め方をするのかという疑問はあるが、その辺は一部生徒に上手く押し切られた感が強い。 とにかく教室の中は荷物を持って速やかに指定された各席に移動する生徒でやや混雑状況にあった。 そこで発生したのが、須藤と葉月による口論である。 要は葉月と須藤がクジで隣同士の席に当たってしまい、それぞれの後ろの席に守村と杉菜が着座、という偏った結果が出てしまったという事に起因する訳だが、どうにもソリの合わない二人、早速またもぶつかっている次第である。 その状況を見たクラスメイトは、内心固唾を飲んで様子を窺っていた。 「ハァ……あんまりだわ。ただでさえせっかく東雲さんと同じクラスになれたところに余計なオマケがくっついてきて腹立たしい日常この上ないのに、その上しかもそのオマケがこのミズキの隣の席だなんて!こんな悪夢のような偶然、ミズキは絶対に許せないわ!」 ヒドイ言われようである。しかし葉月も負けてはいない。一気に周囲の体感温度がマイナス域に下がる。 「誰もおまえに許して欲しい、なんて言ってないだろ。こっちだって許したくもない」 「なんですって!?葉月くん、いくらミズキが寛大だからって、何を言ってもいいと思わないで!」 「うるさい。耳元でキーキー喚くな」 「キーキー、って……なんって失礼なの!人を猿みたいに言うなんて!!」 「す、須藤さん、葉月くん、まだHR中ですから、その、少し静かにした方が……」 ハブとマングースの戦いかと思いたくなるほど険悪な雰囲気を宥めるのは、葉月の後ろに座っている守村だ。見ていて哀れになるほど冷や汗脂汗を流しつつ二人を留めようとするも、しかしてその努力は大して実っていない。 というかぶっちゃけ無視されている。 「ああもう、いちいち気に障る人ね!とてもじゃないけどこんな人の隣だなんて耐えられないから、ミズキは他の席に移らせてもらうわ!ミズキの寛大さに感謝するのね!」 結局一度も椅子に座らず、他の生徒を押しのけてまで葉月の隣を去ろうと踵を返しかけた時、教壇の氷室の声がタイミングよく響いた。 「再度言わせてもらうが、クジという決定方法を選択したのは君達生徒自身だ。視力や体格の大小による不可抗力な身体的不都合で黒板が見えないといった理由以外に、現在決定した席を交換する事は許可しない。次回の席替えまでは各自その席で固定させてもらう」 席替え直前に言った注意事項をもう一度キッパリと宣言され、須藤はグッと言葉に詰まる。3年もこの学園に在籍しているのだ、氷室のダイヤモンド並みにガチガチな性格に逆らえない事は身を持って知っている。 「…………Ce n'est pas une plaisanterie(冗談じゃないわ)……」 須藤は後ろの席に座る杉菜(一応ちゃんと起きて居た)に振り返って訊ねた。 「東雲さん!その席は黒板が見にくくはないかしら?なんだったらミズキの席と交換してあげてもよくってよ?」 いきなり話を振られて、きょとんとした顔で杉菜は須藤を見つめ返す。 「……私?」 「ええ。遠慮しなくてもいいのよ?」 お気に入りの杉菜と席を離れるつもりは毛頭ないらしい、せめてもの妥協点で須藤は提案(?)した。 そんな杉菜は見下ろしてくる須藤に小首を傾げてやや考えたが、いつもの無表情で軽く首を振った。 「ううん、ちゃんと見える。だから交換しなくても、平気」 「…………そ、そう……」 なんてこと。 お姫様は目の前の状況が全く解っていないご様子である。呆気なく淡々と言われてしまい、かえって周囲の方が困惑した。ここですんなり交換すれば杉菜だって葉月の隣の席になれてバンバンザイだというのに……と思ったが、今更そんな学生らしいロマンを気にするようなお姫様でもなかった事に、クラスメイト達は改めて嘆息した。 それにしてもこの状態が続けば、確実に葉月と須藤の舌戦が繰り広げられる日々が待っている。二人が同じクラスになった時点でしょっちゅう衝突しているのだ(単に須藤が突っかかってる、という説もあるが)。想像するだに恐ろしい。 「あっ、あのっ、須藤さん!」 それを察知してか、気配りの人・守村が慌てて須藤に声をかけた。 「何かしら、守村くん?」 「良かったらその、僕の席と交換してもらえませんか!?ほら、僕は視力が弱いですし、葉月くんより体も小さいので、この席じゃ少し黒板が見にくいんです!お願いします!!」 実のところ距離と角度のおかげか気になるほど見えない訳ではなかったが、とにかくこの不穏険悪な雰囲気は何とかしなければと思ったらしい。かなり切実な声でそう申し出た。 「あら、それは大変ね。いいわ、ミズキの席と交換してあげる」 ニッコリ笑いながらそう言って須藤はさっさと守村と席を交換する。 『……よくやった、守村……』 クラスメイトが安堵の溜息を吐く中、各人の移動も終わり、席替えは無事終了した。 今一つ渦中の人物たる杉菜がよく解ってないのがどうかと思うが、何はともあれ守村の気配りによって、ひとまずこれで最悪の危険は回避された。 ――――かに見えた。 さて、『隣の席』というのは果たして左右だけを言うものだろうか。 「ちょっと、葉月くん!!」 授業中、またも須藤の脳天直撃ソプラノヴォイスが教室内に響き渡った。のそりと体を起こした葉月が振り返って、それはそれは不機嫌な顔で須藤を睨む。 「…………うるさい、おまえ」 「文句をいえる立場だと思ってるの!?ナマケモノみたいに寝っころがってないで、早くプリント回してちょうだい!いつもいつもいつもいつも!ミズキへの迷惑ってものを考えたことがあるの!?」 そう。 下手をすれば、隣の席より前後の席の方が干渉し合う機会は多い。距離だって隣よりも近い。プリントを回す、課題を回収する等々、頻繁に顔を合わせ接触する機会があるのだ。 そのたびに鼓膜が破れんばかりの怒声を上げる須藤と、それに対抗し得る猛烈ブリザードを飛ばす葉月に、杉菜(あと鈴木辺り)を除くクラスメイトは数日の間にすっかり疲弊していた。 生徒達の懇願に応えるように氷室が動き、杉菜と須藤が隣同士、それぞれの後ろに葉月と守村、という局部的席替え編成が行われたのは、最初の席替えから一週間経った後の事だった。 尚その際、クラスメイト達はそれまで胃に穴を空けなかった守村に対し、心からの敬意と賛辞を贈ったという。 |