嫉妬 〜FYSバージョン〜 |
「無茶苦茶な事、言わないでよね」 と、彼女が言えば。 「いや、おまえの情緒は絶対おかしい!」 と、彼が言う。 これはこの二人の関係が変化した数ヶ月後のお話である。 「で、尽ってば今度はどんな世迷言を言い出したの?」 冬の生徒会室は寒い。無論暖房は効いているのだが、やはりニ月上旬の外気の影響は大きく、そこそこの広さを誇るこの部屋は一部を除いて極寒の地。ましてや数人しか自力発温できる動物がいないとなれば、送風口の近くにたむろう以外に致し方ない。 そこに更に凍える響き満々のセリフを投下した紺野玉緒@文化部長を、東雲尽@生徒会長は苦虫を噛み潰したような顔で睨みつけた。 「世迷言ってなんだ世迷言って!」 「世迷言が嫌なら戯言。もしくは無駄口、あるいは無意味な話題。えーと、他に何か良い言い方あるかな」 「そうね、馬鹿馬鹿しくて役にも立たない聞く価値皆無なつまんない言葉の羅列、とか?」 玉緒に話を振られた山田@報道部々長は、これまた淡々と答える。 「おまえらなぁーーッ!!」 「尽君うるさい。議事録チェックしてる横で喚かないで」 毒吐き二人のセリフに怒る尽をサクッと一刀両断するのは、日比谷歩@生徒会議長である。 「それで、一体どうしたの日比谷さん。今日の口論の種は何?」 自称親友に対する時とは180度違った好意のこもった声で、玉緒が日比谷に訊ねる。 元々生徒会室には尽と日比谷だけがいた訳だが、玉緒と、そしてついでに山田が入って来た時には何やら二人の間には険悪な雰囲気が漂っていた。否、険悪だったのは尽のみ。日比谷の方は気にも留めず議事録の整理をしていたというのが正しい。 ふてくされたままの尽は無視して、話は進む。 「くだらない事よ。何で私が嫉妬しないのかって」 「はぁ?何それ」 「……それはまた本当にくだらない事言い出したね、尽」 「悪かったな、くだらなくて!」 「だから尽君うるさい」 お約束の応酬を交わして、しかし玉緒と山田は「はて」と首を傾げる。 学園の女子で最も男前と謳われる日比谷歩。自分達にはかなり親しいマブダチと言えるが、彼女が嫉妬する姿なぞ見た事がない。確かに極度の負けず嫌いではあるが、それは主に自分に対してであって、他者に対してどうこうという類のものではない。それが彼女の長所であると思っている。 そんな事は尽だって百も承知のはずだが、何を今更。 と、玉緒は部屋の隅に置かれた尽の荷物に目を留めた。正確には、鞄の横に置かれた大きな紙袋に、である。 (なるほど) 同じように気付いた山田と顔を見合わせる。 「バレンタインデーだったもんね、今日」 玉緒がそう言うと、尽はますますムスッとした顔になった。 「相変わらず無駄に数だけは貰ってるわね。この内本命って何個くらいかしら」 「相変わらず無駄に愛想振り撒いてたから、結構あるみたいだね。みんな騙されてるなぁ」 この二人、すっかり尽苛めがライフワークと化している様子。こまっしゃくれてはいるものの素直な性格だけに、からかうと反応が楽しいのだろう。 「……断り切れなかったんだよ」 「そりゃまた優柔不断だこと」 「本当、みんな騙されてるよね」 「おまえらなぁ……」 こめかみをヒクヒクさせる尽を無視し、山田は指を顎にかけて天井を仰いだ。 「さてしかし、バレンタインデーとかけて日比谷が嫉妬しないととく、その心は……?」 「尽が本命チョコ受け取ってる現場に、たまたま日比谷さんが出くわした、とか?」 「……あー、そんで日比谷がそのままその現場をスルーしたってとこか」 「で、そんな日比谷さんの態度を見て、自分が本当に本命なのか疑念を持って、つっかかったって辺りじゃない?」 「ご名答よ、二人とも」 パタン、と議事録を閉じて日比谷が言った。どうやら仕事が一段落したらしい、彼女はやはりこれまた憤然ムッスリとする尽を放置し、改めて補足説明を加えた。 全ては今日が1年に1度の乙女の為のイベント、バレンタインデーだった事に端を発する。 いつの間にか何となく尽と日比谷がカップル化してから数ヶ月が経つ訳だが、尽はその容姿や明朗爽快さや人懐こさ、気配りパラの高さ故に、元々女子に対して絶大な人気を誇っていた。中には本気で彼を好きな女の子も多く、このカップルが成立して以降彼女達は苦渋の涙を味わっていた。 しかし、今日はバレンタインデー。乙女心の暴走が(ある程度は)許される特別な日。 彼氏彼女の関係には成れずとも、せめて此の想いの一片なりと、慕うあの御方に知って欲しい、それが乙女のKO・I・GO・KO・RO……というのはさておき、そういう心理の女子がここぞとばかりにチョコを貢ぎに参上したのである。尽に全部のチョコを受け取るマメさがあった事も後押ししたのだろう。 そんな一場面に、朝の校舎の一角で、尽の彼女たる日比谷は遭遇したのである――――が。 「あ、尽君。氷室先生が職員室に来るようにって言ってたよ。じゃ」 修羅場が起きるかと慄然とした尽と、その前で同様の不安により硬直する1年生の乙女は、爽やかな声であっさりそう言ってその場を去る日比谷を呆然と眺めていた――――。 「その後もさ、そういう場面に何度も遭遇して、そのたびにスルーだぜ?疑うなってのが無理だろ」 と、尽の主張はそんなであるが。 「そうは言うけど、今更尽君から女の子への愛想取ったら何が残るって言うの?」 と、日比谷の意見は身も蓋もない。 「確かに、他に何も残らないね」 この際、容姿とか成績とか人気とか運動神経とか、最早そういったものは無い物とされてしまった。元来女の子にモテる『イイ男』に成りたいが故に磨いて来たスキルだからして、当然の成り行きである。 「ていうか東雲、彼女いながらそういう場面作ってるあんたに相当問題ある気がするんだけど」 「断れなかったんだって!おまえだって、目の前で涙目の女の子が自分に何とかチョコ渡そうと迫ってきたら、断れるか?」 基本的に女好きのおまえにそんな真似が出来るはずがないだろう、と言外に含ませると、山田は軽く肩を竦ませた。 「まあ、そうね。毒が入ってなければ義理チョコだろうと大歓迎だけど」 「僕は断れるけどね。断る必要性があれば、だけど」 「……そう言い切れるおまえらがある意味怖いぞ、オレは。…………で、それが続いた上に――『それ』だ」 尽は玉緒と山田が手にしているある物体に目をやった。 「これ?」 「これがどうしたのよ。やっぱ日比谷、食に拘るだけあって選ぶの上手いわ」 「うん、すごく美味しいよこのチョコケーキ。さすが日比谷さん、上手だね。で、それがどうしたの、尽?」 わざとらしく話す二人に、尽はとうとうキレた。 「――――あのなぁ!一体どこの世界に、彼氏に義理チョコ渡して他の男と女友達に本命手作りチョコと高級チョコ渡す彼女がいるんだ!?」 バンッ、と机を叩いて尽が立ち上がったが、他の三人は冷静にそれを眺めて一人を指差した。 「「「ここにいる」」」 指差され、自分で自分をも指差している日比谷は、呆れたように尽を見た。 「というか、『それ』を選んだのは尽君自身でしょ。何で私が責められるの」 「当たり前だろ!いきなり3つの同じラッピングで同じ形で同じ重さの箱を並べられて5秒以内にすぐ選べ、だなんて、ロシアンルーレットもどきな事されて嬉しい訳あるかっての!!」 「普通じゃつまらないでしょ」 「普通でいいんだ!おまえの場合こういう日くらいは!」 半分涙混じりに主張する尽の前には、手をかけたラッピングの解かれた跡と――――1個10円のチ○ルチョコの山。それも特売のバラエティパックの物をとりあえず詰めたような、どう見ても義理チョコの中で最低ランクの義理チョコといった代物である。 対して、山田が手にしているのは、ヨーロッパでも有数の超高級洋菓子店のトリュフチョコ。さすがにお値段に比例して形も味も絶品だ。 そして、玉緒が食しているのは、なんと日比谷手作りの本格的なシャルロット・オ・ショコラ。こう見えて料理上手の彼女が作ったそれは、まさに本命チョコに相応しい外観と味、手間暇を感じさせる極上の一品である。 日比谷はその3種類を、まったく同じラッピングを施し、詰め物で重さを同じにし、ついさっき3人の前に並べたのである。そして各人に好きに選ばせた、その結果がこれだ。 「それでもちゃんと一番最初に尽君に選ばせたじゃない。やっぱり自己責任よ」 「そうだよね。僕は一番最後だったもん」 「やっぱり日頃の行いが物を言うのね。それとも東雲の運ってば、おみくじの大吉で尽きたかな」 日比谷が淡々と言えば、親友二人も淡々と言う。当然尽に自分達の戦利品を分けてやるつもりなど毛頭ない。さっさと必要分だけ食して、あとはしっかり鞄に仕舞っている。 「玉緒、山田、おまえらな〜……」 「二人に八つ当たりしないの。言っておくけど、私だってラッピングした後はどれがどれだか判らなくなったんだから」 山田に分けて貰ったトリュフを摘み、日比谷は笑った。 「だったら最初からオレの分だけ別にしとけよ……」 「だから言ったでしょ?普通じゃつまらないって。――――さて、と」 これで話は終わりとばかりにカタンと音を立てて、日比谷は椅子から立ち上がる。そして棚に置いてあった鞄から数冊の本を出して、軽く掲げた。 「私、ちょっと図書室に本返しに行って来るわ」 「って日比谷、逃げるのか?」 「誰が。……あ、そういえば玉緒君も図書室に用事があるとか言ってなかったっけ?」 「え?あ、そうだった。現社の資料借りるつもりだったんだ」 「良かったら一緒に行かない?」 「うん、いいよ」 「え、って、ちょっと待ておまえら!」 慌てて止めようとする尽をこれまた無視して、日比谷と玉緒は連れ立ってさっさと部屋を出て行った。 「…………」 「笑っちゃいるけど、怒ってるわね、ありゃ」 「……どーせオレはガキくさいよ。言葉や態度で示されなきゃ安心できませんよーだ」 「解ってんなら止めときゃいいのに。日比谷の性格でヤキモチ焼けだなんて、紺野に完ペキ白に戻れって言ってんのと同じよ」 そりゃ無理だ。 「それでも止まんないもんなの。そーゆーもんなんだよ」 スッカリ膨れっ面の尽に、山田は冷笑を飛ばした。 「あたしに甘えたって痛い目見るだけよ。――さて、あたしもそろそろ部室戻るか。あんたは暇なんだろうから、持って来たウチの部の来年度予算案、ちゃんと目ェ通しといてよ」 山田はそう言って自分のチョコと書類を持って席を立った。 「わーったよ。まったくどいつもこいつも……」 ブチブチ文句を言いながら仕事にかかろうとする尽を、山田は部屋と廊下の境目で立ち止まって振り返った。 「あんたも解ってないわねぇ」 「……は?」 しかし尽が訊き返した時には既にドアはピシャンと冷たく閉ざされてしまい。 何の事か判らないまま、尽は安っぽい包みを解いて、チョコを一つ、ヤケクソのように口に放り込んだ。 「解ってないよね、尽も」 替わってこちら、図書室に向かう途中の二人。 「これだけ解りやすくヤキモチ焼いてる日比谷さん、珍しいけどなぁ」 「玉緒君も山田も解ってるのにね」 そう言って日比谷は苦笑した。 「で。結局のところ、尽が貢がれる事についてはどう思ってるわけ?」 「別に気にならないわよ。何しろこちとら17年以上も彼を支配し続けてきた強敵にずーっと嫉妬してたんだから、それに比べればその辺の女子、何人出てこようとへっちゃらよ」 「なるほど。――――それで?さっきのチョコレートは、一体尽の何に対しての罰だったの?」 ヤキモチを焼いているのは解ったけれど、その原因は判らない。そう玉緒が訊くと、日比谷はフン、と笑みを浮かべた。 「決まってるでしょ」 勝ち誇ってるんだか嘲ってるんだか、はたまた腹立たしいのか、微妙かつ非常に複雑な微笑みだ。 「と、言うと?」 「その私にとって未だ心穏やかならぬ相手に、チョコせびってた事に対してよ」 「…………それはまた馬鹿な真似を仕出かしたねぇ、尽も」 一月ほど前に日比谷が偶然目撃してしまった一場面。それは尽が今や苗字の変わった姉に、バレンタインのチョコをしつこく要求していた場面であった。日頃あれこれ手伝わされてるんだから、というのが尽の主張だったが、それでも日比谷のなけなしの乙女心にはカチンと来るものがあったらしい。 「乗り越えたのはいいけど、そういう調子の乗り方は許せないのよ、これが」 「御説、ごもっとも」 身から出た錆というやつだ、尽に日比谷を責める権利は確かにない。玉緒はくつくつと笑った。 それでも用意したチョコを全て10円チョコにせず、ちゃんとまともな路線をも用意していた辺りが、優しいというか、甘いというか。それとも惚れた弱味というべきか。 であるからして、その選択の余地を残したにも関わらず尽が義理チョコを見事引き当てたのは、これは完全に彼自身の責任である。 日比谷の念の方が尽の運より遥かに強かったのもあるかも知れないが、それについては玉緒は口を噤んだ。 「日比谷さんだって嫉妬するよね、女の子だもの」 「そうなのよ。――――そういうもんなのよ、困った事に」 そう言いつつも晴れやかな笑顔を浮かべる彼女には、やっぱり『嫉妬』って言葉は似合わない。 玉緒は隣を歩く愛しい親友に、心の中で呟いた。 (ごちそうさま) チョコも、それから君の奴への愛情も。 そして食したケーキの誰かさん好みの程よい甘さを思い出しつつ、たまにはこんな役得あったっていいか、なんて思ってみた。 たとえこれが、尽が初めて日比谷さんからチョコレートを貰える機会のはずだったとしても、ね。 |