一分間 |
それは、年の瀬や古の聖人の生誕日が近い冬のある一日のこと。 「ハーイ、お疲れさまでーす!」 カメラマンの撮影終了の声が響いて、スタジオ内は後片付けをするスタッフでバタバタしていた。 無論葉月も例外ではなく、さっさと更衣室へ戻ろうとしていたが、そこにスタッフの一人が声をかけてきた。 「お疲れ様でした、葉月くん!」 「……ああ、お疲れさま、です」 「あのさ、これからスタッフ全員で忘年会兼ねて打ち上げに行くんだけど、葉月くんも一緒に来ない?」 「俺も?」 「うん!今年はもうこれでこのメンバーで仕事をするのは終わりだし、ぜひ!」 今日の撮影はレギュラーの仕事ではあるが、月刊誌のせいもあって確かに今年では最後だ。ならば誘われるのも頷ける。 だが、葉月はやや眉を寄せて首を振った。 「悪いけど……」 「え〜っ!?来ないの?――――あ、何か用事でもあった?」 「まあ……そんなとこ」 葉月がそう言うと相手はポン、と手を叩いて笑った。 「あ、解った!恋人とデートだ!」 「いや……恋人、とは少し違うかな」 「それじゃあ、片想いの相手とデート!」 「片想い……とも違う、と思う」 「え〜?とすると……あ、大学のお友達とコンパ!」 このスタッフはごく最近新しく入ったばかりで、葉月のプライベートをほとんど知らない。元気で素直、気さくかつ人懐こい性格であっという間にスタジオ内の人気者になったのだが、それにしても何故デート関連の発想しかできないのか。夜の街頭で赤い羽根募金を募るなんて事だってあるかも知れないだろうに(いや、ありえないが)。 説明の手間を感じて、葉月は小さく嘆息した。 「そうじゃなくて、つまり……」 「つまり?」 「……つまり、その…………」 「……葉月くん?」 スタッフは、いきなり口を閉ざしてしまった葉月に首を傾げた。 いや、口を閉ざすというよりは『あること』を口にするのに非常にためらいや逡巡が生じてしまって、自分でもそれを整理し切れない様子である。 その証拠に眉は困ったように顰められ、目はせわしなく宙を彷徨い、唇は何か言葉を紡ごうとして開かれては、失速するようにまた閉じる。 そしてなぜか、頬が妙に赤い。 「あの〜、葉月くん。何かマズイこと訊いた……?」 「ん?どしたの葉月ちゃん?」 「葉月くん?」 いつまでも沈黙したままの挙動不審な葉月を目に留めて、カメラマンを始めとする他のスタッフも二人に注目した。 訊ねたスタッフは、心底不安になって口を開いた。 「あ、あのっ、言いにくいことなら別に言わなくて良いんだよ!そうだよね、プライベートなことに口を突っ込むのはいけないよね!」 慌てたスタッフに気付いて、葉月も慌てたように顔を上げた。 「あ……いや、そうじゃなくて、その…………――が……」 「え?」 「だから、その……今日は…………妻、が、待ってるから……」 頬どころか耳まで真っ赤に染めて、葉月はつっかえつっかえようやく言った。 その一瞬、スタジオ中が奇妙な沈黙に包まれた。 「妻…………?……葉月くん、結婚してたんだ……?」 「……ああ」 「いつ?」 「……約、一月半前」 恥ずかしさと照れくささを隠すように葉月が視線を逸らすと、スタッフは途端にニヤニヤして納得したようにウンウンと頷いた。 「そっかー!それじゃ付き合えないよね!ごめんごめん、新婚ホヤホヤカップルの邪魔するほど無粋じゃないよー!それじゃ、また次の機会にね!」 けらけらと笑いながら、スタッフはそそくさと駆け戻って行った。 その後ろ姿を複雑な視線で見送っていると、背後で震える笑い声を堪える気配がした。 「おい……」 「ウックククッ……は、葉月……あなた、今、たっぷり一分は言い淀んでたわよ!」 振り向けば葉月のマネージャーがお腹を抱えて笑い転げていた。 「……笑うな」 「だ、だって、『妻』の一言を口にするだけでそんなに焦って口篭もって真っ赤になるなんて、初めて見たもの!可愛い、可愛すぎるわ、あなた……!」 「……いい加減にしろ」 「そ、そんなこと言ったって……ププッ!よ、洋子が知ったらどんな顔――――」 「言うな!」 ハッとして釘を刺す葉月に構わず、マネージャーはケタケタと笑ったまま。しまいには壁に頭をつけて泣き笑いになる始末。 「山田さーん!さっきの葉月くんちゃんと撮りましたかぁ!?」 遠くからは同様の笑い声とさっきまで話していたスタッフの楽しそうな声が聞こえてきて、葉月はこの上なく憮然とした表情を浮かべて、逃げるようにスタジオを出た。 しかし。 「葉月!杉菜ちゃん……じゃなかった、『奥様』によろしくね〜♪」 最後の最後でマネージャーが言ったセリフは、しばらく彼の顔から赤味を引かせることはなかった。 |