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指きり -Haduki Side- |
| それは、幼い頃の思い出のかけら。 「ゆーびきーりげーんまーん、うーそつーいたーらはーりせーんぼーんのーますっ！」 大学の帰り道、通りがかった公園から聞こえた子供の声に、ふと耳を傾ける。 「あ、指切りしてる。可愛いなぁ」 隣を歩く飛鳥が、その子供たちを見て表情を弛ませる。その視線を追えば、４〜５歳くらいの男の子と女の子が一緒になって遊んでいた。よく見かけるから、多分家が近所なんだろう。 「昔やったな、俺たちも」 「うん、したした！明日もここで遊ぼうねーって、毎日のように約束したよね」 会えた期間は短かったけど、その間は本当に毎日指切りをして、次の日の約束を交わしてた。 懐かしい記憶を思い返して、そういえばと気付く。 「俺、おまえに教えられて初めて知ったんだ、あの唄」 「ゆーびきーりげーんまーん、って？」 「ああ。それまで無くて、そういう機会」 守れない約束なら期待を持たせるのはかえって酷だと思ってたのか、多忙な両親はあまり約束をしなかった。祖父さんはドイツ人だったから、あまり日本の童謡には詳しくなくて、件の唄は知らなかった。幼稚園は……周囲から避けられる事が多かったし。 だから、知ったのは結構後だったんだ。 「そっかぁ……」 少し眉を寄せた飛鳥に、俺は繋いだ手を握り直して笑った。 「けどその後、由来や語源を調べて驚いた記憶もあるんだ」 「由来？」 「ああ。どうして『げんまん』って言うんだろうとか、『はりせんぼん』ってなんだろうとか。何故か、妙に気になって」 「あ、そういえばそうだよね。言われてみると『げんまん』ってなんだろうって思うよね。――それで？調べてみて、何に驚いたの？」 「……『げんまん』は『万の拳』って書くらしい」 「ま、万の拳！？」 「そう。約束を破ったら、握り拳で一万回殴る、って事らしい」 「うっわ〜」 他にも『はりせんぼん』はそのフレーズが付けられた時代に魚のハリセンボンはメジャーじゃないからやっぱり『針千本』が正しいだろう事や、元々は遊女が自分の愛情を証すために小指を切って男に贈ったのが始まりだという事を説明すると、飛鳥は見るからにぞっとした表情を浮かべた。 「うわ……本当に切っちゃってたんですか……。知らなかったとはいえ、怖いいわれがあったんだね……」 「だろ？」 気を紛らわせるように、俺は飛鳥の頭をポンポンと叩く。少し怖がらせてしまったらしい。飛鳥は怯える対象のポイントがよく解らないので、こういう話はどこまで言っていいものか時々判断に迷う。生魚は平気で捌いてるからスプラッタが全然駄目って事はないんだろうけど。 「……もっとも、俺はおまえの方が怖かった」 話を少しを逸らすと、すぐに彼女の顔が疑問形に変わる。 「え？」 「小さい頃。一度だけ、俺、何かの用事でかなり遅れて行った事あって。その時おまえ、俺の顔を見るなりものすごい勢いで泣き叫んだだろ」 「うっ！そ、そうだっけ！？」 「ああ」 「……そ、そういえば、そんな事もあった……ような……」 「あったんだ。……あの時は、本当に困った」 けいくんのばか、どうしてやくそくまもってくれなかったの、ひとりでさびしかったんだから。 止まらない涙と泣き声に紛れて、しゃくりあげながら訴えてくる目の前の女の子に申し訳無くて。どうしたらいいか、判らなくて。 ごめん、俺、ぜったいにこれからは遅れないで来るから、約束守るから、だから泣くなよ、ってバカみたいに繰り返し言う事しか出来なくて。 たっぷり３０分は泣いたままだったおまえが泣き止んだ時、冗談抜きで、心の底からホッとしたんだっけ。 それからは言葉通り、俺があの『約束』を交わした日まで、一度も約束は破らなかった。 「けどそれは、針千本なんかより、おまえがまた泣くのが怖かったから、だった」 「うぅ……。私ってばそんなに凄かったですか……」 本人にとって恥ずかしい過去を指摘されて、飛鳥の顔が真っ赤になる。俺は彼女のこの表情も好きで、ついからかってしまう。 思わず小さく吹き出すと、それに気付いたのか、飛鳥がジト目で見上げてきた。 「でも……」 「ん？」 「……再会した頃、よく遅れて来た……待ち合わせ」 ……それを言われると、弱い。 あの頃はまだ、おまえは興味本位で俺に声をかけているんだと思ってたし、俺のおまえに対する執着も今ほどじゃなかったから。 けど、仕返しにしては弱すぎるぞ？ 「誰かさんが俺の事忘れてた、仕返し」 「うっ」 「今はほとんど遅れないようにしてる、つもり。…………第一、おまえが１分でも他の男に見られてるの、嫌だし」 「ううっ！………………スミマセン、私の負けです……」 あっけなく、彼女は白旗を上げて負けを認めた。大げさなくらい大きな溜息を吐いた飛鳥の頭を俺はもう一度軽く叩いて、笑う。 顔だけで笑っていると、「もう珪ってば笑いすぎ！」と言いながら、でもすぐに同じように飛鳥が笑顔になった。 そしてふと思いついたように首を傾げた。 「どうした？」 「んーと、その。さっきの指切りの元になった話で思ったんだけど……」 「？」 「……私の小指だったら……珪は受け取ってくれる？」 「……小指って」 思わず訊き返そうとすると、ハッと気付いたように飛鳥は慌てて首を振った。 「――――あっ、ゴメン！私ってば何をおバカな事言ってるのかなぁ、あはは！あっ、今の聞かなかった事にして！うん、そうしよう、それがいいよ！」 微妙に三原化した口調で言い切って誤魔化そうとする。それでかえって俺はさっきの彼女のセリフが飲み込めた。 自分の小指を渡す事。それは偽りない愛の証。 ……まったく、おまえって。 「……バカ」 「あう〜っ、聞かなかった事にしてって言ったのに〜」 「そうじゃなくて」 俺は繋いだままの飛鳥の手を口元に寄せて、そのしなやかなな小指に口付ける。 「おまえを傷つけなくても……おまえが傷つかなくても、おまえが俺を想ってくれてる事、解ってるつもりだから」 そう。 惜しみなく降り注いでくれる暖かな想いや体温。それだけでも俺には充分過ぎるほどなんだ。 それに第一、おまえの体を傷つけるなんて事、俺自身が許せるはずがない。そんな事をするくらいだったら、それこそ俺の小指でもなんでもくれてやる。 俺の言葉を聞いた飛鳥の瞳が、さっきまでとは違う輝きに変わった。 「…………珪」 「違うのか？」 「！！ううん、全然違わない！！」 「だったら泣くな」 「う……こ、これは不可抗力だよ。嬉しいんだもん」 浮かんだ涙を袖口で拭き取ってやると、バツの悪そうな声でそう答えた。 「……でも良かった。伝わってて」 「伝わってる。いつも」 「うん。あのね、珪のも伝わってるよ。いつも」 「……そうか」 「そう」 「なら、いい」 「うん」 手を繋いで、訪れた心地良い沈黙のまま、夕暮れの近い街並を歩く。 相手を確かに独占してる、この瞬間。 お互いの手から伝わってくるものは、形を取らなくてもちゃんと証になってくれると、いつから解るようになったんだろうか。 （おまえがいたから――――） それだけは、間違えようのない事実だけどな。 そうこうしている内に、いつの間にか飛鳥の家の前に着いていた。 「送ってくれてありがとう！それじゃ、また明日ね」 「ああ。１０時に公園入口、だったよな」 休日には一緒に過ごす習慣が出来てから、まだそんなには経ってない。だから別れ際には必ず次の約束の確認をする。 「うん。――――はい」 「ん？――――ああ」 出された小指に、自分の小指を絡める。たった一本の指だけど、そこにあるのはお互いの想いを伝えるような強い熱。 「ゆーびきーりげーんまーん、うーそつーいたーらはーりせーんぼーんのーますっ！」」 明るい声で高らかと、楽しそうに。この歳になると、少し恥ずかしいくらいだけど、でも楽しそうな笑顔につられて、俺も一緒に唄い出す。 「ゆーびきった！」 最後のフレーズに合わせてパッと指を離すと、飛鳥はニッコリ笑って俺を見上げて来た。 「約束破ったら、それはもう怖いくらいに泣いちゃうからね？」 「……言うと思った」 「えへへー」 舌をちょこんと出しておどける飛鳥に苦笑して、俺はふと思いついた事を言ってみた。 「じゃあ、おまえが約束破ったら……そうだな、その日一日、甘い物食べるの、禁止」 「ええっ！？」 予想外の発言内容だったらしく、大きな声を上げる。 「駄目か？なら、その日一日手を繋ぐのなし、とか。――ああ、ついでにキスも」 思いつきで言ってから、内心しまった……と焦ったものの、今度はこっちの予想以上にショックを受けたらしい、一気に彼女の顔がふにょっとなった。 まあ、こいつは手を繋ぐのとても好きだから、こういう条件は酷過ぎるかも知れないけど。 「ウソぉ……。ひどい〜、何なのその罰〜っ！」 「後者の場合、俺だってつらい」 なら言うな、と自分でも思ったけど、飛鳥はその辺には気付かないでくれた。前者の罰ゲームを採用した上で、おとなしく頷く。 「ううう……解りましたぁ。約束破らないようにします〜……」 「よし」 ……正直、甘い物断ちでこれだけショックを受けるというのも少し複雑だけど、それでもおまえは泣くのはそれくらいつらいんだって事だから。 ちゃんと、解れよ？ 「じゃあ、また明日」 「うん。さよなら、気をつけてね」 いつものように軽いキスを交わしてから、俺は自宅の方向へと足を向ける。見送ってくれる気配を振り返れば、ぶんぶんと振られる手の平。 その手を見て、俺はふと思いついて足を止めた。 「――そうだ、さっきの訂正しとく」 立ち止まって話し掛けてくる俺に、飛鳥が手を止めて瞬きをした。 「？さっきの？」 「――――小指だけだなんて、冗談じゃない。体ごとじゃなきゃ、俺は嫌だ。ついでに、泣くのも俺の腕の中以外、認めない」 見る間に真っ赤になった飛鳥のあまりの反応の速さに、俺は思わず吹き出した。 「け、珪ってば、またからかってる！」 「からかってない。本気で言ってる」 「なお悪いよ〜！！」 「どうして」 「どうしてって、それは……その、あの、こういう公共の場所で言う事じゃないと思う！」 公共の場って。確かに外だけど、さすがに通行人に聞こえる声では言ってない。 「…………じゃあ」 何となく悪戯心が働いて、もう一度飛鳥に近づいて耳元に口を寄せて囁いた。 「ベッドの中、ならいいのか……？」 「――――っ！！」 思った通り、さっきとは比べものにならないほどに、ボン！と音が聞こえるくらい狼狽する。 「珪！！〜〜〜だからっ、あのっ、からかうのはほどほどにしてっていうか！…………まぁ、それは、その辺りでなら、言ってもいい……けど……と、思わないでも……ない、というか……」 最後の方は、本当にかすかな主張。それに微笑って、俺は軽く頷いた。 「了解。それは明日の夜な」 「あ、明日って！夜って！」 「約束」 素早く手を取ってもう一度彼女の小指にキスをすると、頭上から尽の怒声が振って来た。 「コラ〜、そこのバカップル！場所をわきまえていちゃつけってーの！！」 続く怒声は無視して、うろたえる飛鳥にもう一度「じゃあ、また明日」と告げて、俺はそのまま家路へと歩き始めた。 そうして、不意に自分の小指を眺める。 何度も、何度でも。 互いの小指を介して交わされる、小さくて、そして大きな約束。 幼い頃ほど無邪気なものではないけど、幼いあの日に交わしたあの『約束』は今に繋がる誓いでもある事を、俺は心から嬉しいと思った。 「……けど、俺もおまえに体ごとやるって言ったら、どんな反応しただろうな、『あすか』？」 →＜Asuka Ｓｉｄｅ＞ |
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