お弁当 |
「Bonjour!東雲さん、紺野さん!」 放課後、一緒に帰ろうとしていた飛鳥と紺野の前に、突如として現れた須藤が仁王立ちになって声をかけてきた。 「え?……あれ、瑞希さん」 「……須藤さん?ど、どうかしたの?」 どこか鬼気迫るその表情に、二人は思わず一歩あとずさった。 「あなた方、お料理は得意だったわね?」 「「え?」」 前置きも何もなく突然被せられた質問に、二人は一瞬思考が止まった。 「え……ええと、得意っていうか、苦手ではない、かな?」 「わ、わたしも……かな?」 そうはいうものの、それぞれ手芸部員・男子バスケ部マネージャーであるこの二人の気配りパラは尋常ではなく高い。特に料理の腕前は美食に慣れている理事長ですら絶賛する程だ。 「そう。――あなた方、今日これから何か用事はあって?」 「「え?」」 いきなり話題が変わる。 「え……ええと、特にない、かな?タマちゃんは?」 「う、うん、わたしもないよ。明日の準備くらいかな」 そう答えると、須藤は満足そうに頷いた。 「C'etait bon(それは良かったわ)!じゃあ早く家に帰って、外泊と明日の用意をして待ってらっしゃい。ギャリソンにリモで迎えに行かせるから」 「「え?」」 何のこと?――そう言いたいのに、出たのは3度目の疑問詞。 「『え?』じゃないわ。本当にボンヤリ子ダヌキ姉妹ね、鈍いったらありゃしない」 だから何の話?――そう言いたいのに、須藤は相変わらず険しい表情でツッコむ隙を与えない。 須藤はハテナマークを浮かべ続ける子ダヌキ姉妹に溜息をついて、その自慢の髪を翻して言った。 「いいこと?このミズキに、お料理を教えるという栄誉を与えてあげよう、と言ってるの」 『アッハッハー!やっぱりアンタたちんトコ行ったんだ〜!ホント須藤ってばわっかりやすいよねぇ』 電話口から聞こえる藤井の笑い声に飛鳥は内心頭を押さえた。 「やっぱりなっちんだったんだね?瑞希さんがあんな臨戦モードになってる時って、絶対なっちん絡みなんだもん」 『え〜だってさ、最初に突っかかって来たのアイツだもん。アタシはそれに応えてあげただけ!やっぱ売られたケンカは買わなくっちゃねぇ』 「……それで私やタマちゃんに火の粉が降りかかるのはどうかと思う。私達だって明日の準備まだなのに」 明日は学校のバス旅行。日帰りではあるが、他県の博物館や資料館などを巡るいわゆる全校規模の課外授業だ。 と言っても行き先に遊園地が設定されている辺りで、大多数の生徒にとっては単なるイベントと化している。修学旅行に次ぐ学内プチ恋愛イベントの一つとでも言おうか。 『ゴメンゴメン。でもアタシ間違ったことは言ってないよ?こういう機会に家庭的な面アピールすれば、三原くんもちょっとはアンタのこと見直すんじゃない?って言っただけだし。須藤もそう思ったからこそアンタたちに料理教えてもらおうって思ったんじゃない?』 「それはそうかも知れないけど」 須藤家に半ば拉致され、何をさせられるのかと思いきや、どうやらお弁当の作り方を飛鳥と紺野に伝授して欲しかったらしい。昼食は持参又は現地調達で、という事になっていたからだ。 本来の須藤ならばお抱えシェフの豪華ランチを手土産に三原の元へ馳せ参じるだろう。実際そのつもりだった。 だがそこで口を出したのが須藤の天敵・藤井奈津実。部活が終わった後のシャワー室でフォアグラがどーのトリュフがどーの最高級フレンチオードブルがどーのと偉そうに自慢し始めた須藤にカチンと来て、いつも通りの舌戦と相成ったらしい。 「な〜んだ、アンタせっかくの機会なのに手作り弁当のひとつもナシなんだ?」 「C'est naturel(当然よ)!ミズキみたいな上流階級の人間にはね、一流のシェフに作らせた一流の料理を食べる義務があるんだから!まあ、あなたみたいな庶民にはわからないでしょうけど?」 「(ムカッ)……べつに解りたくもないけどねー。でもそっか〜、アンタ三原くんのことはどーでもいいんだ〜」 「…………Même ce qui(何ですって)?」 「だってホラ、こういう機会にこそ、手作り弁当こしらえて差し入れるのって重要じゃん。普段見せられない家庭的なトコとか、好きな人においしい物や栄養のある物食べてもらいたいって気持ちとか、そういうのアピールする最大のチャンスだもんねぇ。去年も結構それでいい雰囲気になったカップルとか居たみたいだし〜?あ、そーだ、アタシも明日はがんばって作ってこーかなー」 「あ……あなたに料理が作れるの?初耳だわ」 「好きじゃないけど苦手ってワケじゃないもんね。それに男ってそういう女のコの健気さとかに弱いって言うし?まあお菓子作りやお料理はお嬢サマのタシナミって言うから、今更アピールするほど特別なことでもないか、アハハ、ゴメンねー」 「と、当然じゃない!!」 …………とまあ、何ともいつも通りの展開に至り、着替えが済んだ須藤はそのままの勢いで未だ帰宅していなかったボンヤリ子ダヌキ姉妹をひっつかまえた、という次第である。 「まぁ、自由にキッチン使っていいって言われたから、私達も自分達の分作っていこうって、タマちゃんと話したけど」 『そっかそっか、まあ愛しの王子サマのために二人とも頑張ってくれタマエ。――ところで、肝心のお嬢サマはどーよ?上手く行ってる?』 「……どうもこうも」 その時実にタイミングよく、飛鳥の背後にあるキッチンからガッシャーン!と調理器具を叩きつける音が聞こえてきた。 「Ce n'est pas une plaisanterie(冗談じゃないわ)!どうしてミズキがこんな練ったりこねたりなんて地味な作業しなくちゃならないのよー!!」 「で、でもね、この行程ひとつ加えるだけで全然美味しさが違うんだよ〜」 「解ってるわよ!でもミズキには合わないの!」 「そんな〜!」 短気大爆発の須藤の声と紺野の涙声が聞こえてきて、電話中の二人は押し黙った。 『………………』 「…………まぁ、ずっとこんな感じ」 『予想通りってゆーかなんてゆーか……ま、頑張れ!健闘を祈る!』 「ってなっちんが原因なんじゃない!責任取れー!」 『明日ジュースでも奢るから!そんじゃ!!』 「あっ!…………もう……」 逃げるように切られた携帯にトホホと呟いてから、紺野の聞こえない呼び声に応えるようにとぼとぼキッチンに戻ると、ボールは転がり小麦粉はぶちまけられ、もう何が何やらしっちゃかめっちゃかの状態だ。 「Déjà haine(もうイヤ)!やっぱりミズキはミズキらしく、シェフに作らせたお弁当を色サマにお持ちするわ!そうよ、せっかく色サマに食べて頂くなら、素人が作ったものよりプロが作った最高級のものを食べて頂くべきなんだわ。ミズキとしたことがなんて浅はかだったのかしら」 眉間に皺を作り、苦々しい渋面で溜息混じりに言い捨てる須藤に、既に3時間以上付き合わされている飛鳥と紺野は顔を見合わせてこっそり嘆息した。 大体にして、素人なら素人なりに簡単な料理で勝負すれば良いものを、「こんな粗末なものを色サマに召し上がって頂く訳にはいかないじゃない!」と言ってあえて難しい料理に挑戦し始めたのは須藤本人である。鍋が焦げ付こうが料理が炭化しようがその臭気に火星人が悶絶しようが、言い出しっぺが最後までやり遂げるべきではないのか。 ――――そう、思ったのではあったが。 「……そうよ……ミズキがわざわざ作っていかなくたって、色サマはきっとお母様がお作りになったお弁当を持っていらっしゃるわ。ミズキの出る幕なんて……」 さっきまでの威勢はどこへやら、須藤は眉間の皺を違う感情ゆえのものに変えて、俯きながら独り言のように呟いた。 見ればそのしなやかな指には既にいくつもの絆創膏が貼られていた。 「須藤さん……」 料理上手と評判の三原家マミーの噂は飛鳥達も知っていた。その味の絶品さもさる事ながら、外見にもこだわった芸術的な出来栄えは、日頃三原の食しているゴージャスな重箱弁当を眺めれば一目瞭然である。 けれど。 「…………ね、瑞希さん」 慣れない料理に奮闘する姿。使い慣れない包丁捌きは危なっかしい事この上なくて。手際の悪さにタイミングを逃して材料を焦げ付かせたりして。 戸惑って、失敗して、情けない自分を突きつけられて。 けれど、それでも。 「…………何?」 「三原くんに、美味しいもの食べてもらいたいよね?」 それを聞くと、須藤はキッと目を吊り上げて飛鳥の顔を睨む。 「当然じゃない!」 「だったら頑張ろう?瑞希さんの手際、少しずつだけどちゃんと良くなってきてるもん。私達も手伝うから、最後まで頑張って作ろう?」 「東雲さん……」 「それに」 飛鳥はにっこりと須藤に笑って言った。 「それに三原くんは、自分のために一生懸命作ったって気持ち、足蹴にするような人じゃないでしょ?」 「!!何を当たり前なこと言ってるの!色サマはね、そんな情け知らずな方じゃないのよ!!」 「うん。だからね、頑張って美味しいお弁当作って行ってあげて?きっと喜ぶよ、三原くん」 飛鳥が『東雲飛鳥とっておきの必殺技・聖母のほほえみ(手芸部Vr.)』を炸裂させながら駄目押しすると、須藤は胸の前で指を組み合わせながら再度俯いた。 しかし紡がれた言葉の響きは先程のものとは違っていて。 「…………喜んで……くださるかしら……?」 「うん!だって瑞希さんの手作りだよ?」 自信満々に頷いた飛鳥をチラリと見て、しばらく考え込むようにしてから、須藤はようやく顔を上げた。 「……そう、そうよね。ミズキとしたことがこんなことで悩むなんてらしくなかったわ!」 キッ、と上げた顔にはもはや先ほどの翳りは浮かんでおらず。 「――さ、東雲さん、紺野さん。続きを頼むわね?まだまだ時間はたっぷりあってよ!」 「うん!その調子!」 「がんばろうね、須藤さん!」 にっこりと、いつものような自信たっぷりの笑顔を浮かべた須藤に、二人はホッと安堵の息を隠しつつ頷いた。 明けて翌日。はば学三年生の一行は、予定通り遊園地に入場しての昼食時間を迎えた。晴れやかな秋晴れの下、ここかしこで賑やかな笑い声が響き渡る。 「あの、色サマ……」 三原の周囲に群がる女子をことごとく退けた後、須藤は己の想い人の前にしずしずと歩み出て声をかけた。亜麻色の髪をなびかせる彼は、常と変わらない穏やかな笑顔で振り向く。 「ん?ああ須藤くん、いたね?どうしたんだい?」 「その……ミズキ、色サマのためにお弁当を作って来ましたの。良かったら召し上がってくださいます……?」 「え……キミが作ったのかい?」 須藤のセリフに驚いたのか、三原が少し目を見開いた。 「はい……。色サマのお口に合うかわかりませんし、お母様がお作りになったお弁当をお持ちでいらっしゃるでしょうけど、せめて、一口でも召し上がって頂きたくて……」 頬を真っ赤に染めて、いつもとはわずかに違う須藤の表情を眺めて、三原はふ、と微笑んだ。 「……うん、いいよ」 「ほ、本当ですか!?」 「モチロンさ!そうだ、さっき通った芝生広場、あそこで食べよう!」 「あ……ありがとうございます、色サマ!」 不安そうな顔から、弾けるような笑顔に。 それを纏って須藤は三原と一緒に陽光の降り注ぐ芝生広場へと歩いて行った。 「……あ〜ららら、なっかなかイイ雰囲気じゃん?」 一部始終をこっそりと覗いていた藤井が、建物の影でニヤリと笑った。 「そうね……それに、ああ、三原くんのあの表情からすると、料理の出来も問題なさそうね」 「だねぇ。ちぇっ、これで失敗作だったら上手い具合にオチがついたっていうのに、つっまんないの」 「そう言ってる割には顔が笑ってるけど?」 有沢がそうツッコむと、藤井はバツが悪そうに誤魔化し笑いを浮かべた。 「ま、ねー。なんかさ、アイツ見てると確かにムカつくっちゃムカつくんだけど、三原くん追っかけてるトコはなんかこう、放っとけないってゆーかさ。ついお節介したくなるってゆーか」 「……その点は私も同感。一生懸命なのは本当に解るから」 「そーそー、たまにはこういう機会も作ってやんないと、マミーとやらには敵わないもんねぇ」 「そうね。……でも」 キラリーン、と、有沢のメガネが只事ならぬ鋭さでもってきらめいた。 「この次は、あなたが責任取るのよ?」 「…………ウイっす」 振り返ってみれば。 そこにはぐったりお疲れモードの飛鳥と紺野がベンチに腰掛けて半ば意識を失っていた。その横には各々の想い人が心配そうな表情でそれぞれの想い人の顔色を覗きこんでいる。 「眠いね〜、飛鳥ちゃん……」 「うん……このまま眠っちゃいたいね、タマちゃん……」 「でも、レポートあるもんね……」 「うん、起きてなきゃ、ね……」 ――――荒れたお肌とクマの出来た目で、色サマの前に出られるわけないじゃない!! そう言って早々と就寝してしまった須藤に代わって、せっせと下拵えをし、その傍ら自身が持参するお弁当の用意をし、その後氷室学級生徒の宿命とも言える本日提出の課題を終わらせ、挙句須藤によって午前五時に叩き起こされた二人の小人さんたち。 七時間授業+部活の後、須藤によって拉致られ労働を強いられたボンヤリ子ダヌキ姉妹は、果たして須藤の笑顔を見る気力もなく、歓声響く遊園地でボンヤリ空を眺めるのであった。 |