携帯電話 |
「ん?」 こつん、と足元で存在を主張したそれを、姫条は腰を屈めて拾い上げた。 「なんや、ケータイやんか。誰か忘れてったんかいな」 午後の授業が終わって、清掃の時間も過ぎた頃。何とはなしに屋上にやって来た姫条は、拾ったその携帯電話を眺めて首を傾げた。 「……どーっかで見た気がすんねんけど、誰のやったかな〜」 最新機器では無いものの発売当初はかなりイイお値段で、渋々諦めた友人も多い。だがこれと同じ物を確かに学内で見かけた気がする。何かこう、あんまり嬉しくない人間が持ち主だったような気もするが。 しばらく携帯片手に悩んでいたが、どうしてもその持ち主が思い出せない。一つ溜息を落とす。 「落とし物は警察ならぬ職員室へ……ってのが正しい生徒のあり方やねんけど、なぁ」 校内での拾得物・遺失物は職員室に届け出るのが決まりである。 だが。 「参ったなぁ……今は職員室には近寄りとうないしなぁ」 最近アレコレ教師陣の神経を逆撫でするような事を続けて仕出かしてしまったので、現在の彼にとって職員室はまさに鬼門。近寄ったが最後、氷室辺りに掴まって数時間のお説教と数十枚のレポートが下されることだろう。自業自得とはいえ、そんなのはゴメンである。 「う〜ん……。…………せや、アドレスに知っとるヤツが登録してあったら、そいつに電話かけて持ち主特定すればエエやん!プライバシー侵害かも知れへんけど、こないな所に忘れた挙句オレに拾われたんが運のツキやったっちゅうことで」 姫条は早速携帯のメニューボタンを押して、アドレス一覧を表示させた。 「……え〜と、これでエエはずやけど…………なんや、コレ」 液晶画面を見て、姫条はなんとも複雑に眉を寄せた。 自分の携帯にはメモリを最大限活用するくらいに友人知人の電話番号やメールアドレスが登録されている。そこまでとは行かずとも、高校生であれば十人単位でガシガシ登録されているのが普通だ(と姫条は思う)。 しかし、彼の手の中の携帯にはほんの数名の名前しか登録されていなかった。その大部分にはある姫条の知るある男子生徒の苗字がついていた。 「……『葉月』……って、ひょっとしてこのケータイ……」 プルルルルルルル。 突然、手の中の携帯が着信音を奏で、思わず姫条は通話ボタンを押してそれを耳に当てた。 「はい、もしもし!」 ――――しもた!ついいつものクセで出てもうたわ。 そう思ったが時は既に遅し、しっかり通話はオンになっている。 『もしもし……あれ?あの、えーと……こちら葉月さんの携帯ですか……?』 軽やかな、けれど怪訝そうな女の声が聞こえてきて、姫条はハッとした。 「その声、ひょっとして飛鳥ちゃんか!?」 『え?え?え、あの、その声、ひょっとして姫条くん!?』 驚いて訊き返してきた声は、確かによく知った女生徒の声。姫条がほのかに高目のときめき度を維持している相手でもあった。 「おお、姫条やけど」 『嘘、私ってば珪くんじゃなくて姫条くんの携帯に間違ってかけちゃった!?あれ、でもこの番号姫条くんのじゃないし――――』 「おお、オレのとちゃうで。落し物のケータイ拾ったんやけど、誰のか判らんからどないしよ思てたトコや。なんや、このケータイ葉月のやったんか〜。どっかで見たような気がするはずや」 『そうだったんだ……あ、落し物ってことは、珪くんいないんだね?』 「ああ。今屋上におるんやけど、葉月らしい影は見当たらへんなぁ」 『そっかぁ。あさってのことで話したいことあったんだけどなぁ……う〜ん、どうしよう』 「なんや、デートの打ち合わせか?」 あさってと言えば日曜日。さてはと思って冗談混じりに言ってみると、通話口からは即座に過剰反応が返ってきた。 『えっ!?デ、デートなんて、そんなじゃないよ!!ただ、その、私も珪くんも暇だから、一緒に映画でも観に行こうかって……うん、それだけ!』 それのどこがデートちゃうっちゅうねん。 そうツッコミたかったが、ググッと耐えて姫条は言った。 「そかそか、ま〜女のコの事情を詮索するんもヤボやし、そ〜ゆ〜コトにしとくわ。それより、どないしたもんかな、このケータイ」 『あ、うん、そうだね……。鞄はあるから、まだ帰ってないとは思うんだけど』 「せやなぁ……飛鳥ちゃんが会うんやったら、オレが持ってるて伝えたってや。机に入れとってもエエねんけど、王子サマのケータイが放置されとったらちーっとアカンやろ思うし」 『……うん。わかった、伝えておくね』 「ちなみに今オレ屋上にいるよって、すぐに会うようやったらそう言ってな。まだしばらくおるから」 『うん、ありがとう。それじゃ、また明日ね』 「おう、またな〜」 ピッ、と電話を終えて、姫条は携帯を見つめながらフゥ……と溜息を落とした。 ……なるほどなぁ。 最近遊びのお誘いが少ない思たら、そういうことやったんか。そかそか。 そか〜………………………………………………ハァ。 なんや、結構ショック受けとるやんオレ。溜息の深さがいつもと全然ちゃうし。 まあなぁ、近頃の飛鳥ちゃん、どんどん綺麗になってるのはわかっとったし、それが葉月のためやっちゅうんも薄々気付いとったし、それ再確認しただけなんやけど。 そんでも……寂しいもんやなぁ。 「…………せやけど」 わかっとんのや。 葉月のヤツも飛鳥ちゃんのこと大事に思っとるんやろなぁってのは、わかっとる。 最初はめっちゃいけすかんヤツや思てたけど、飛鳥ちゃん通じて見とると、実は単なる不器用モンで天然で何より結構エエ奴やってこと、伝わってくんねん。 それどころか、飛鳥ちゃんのことを抜きにしたら、決して嫌いなタイプやあらへん(あ、そういう意味ちゃうで?) せやから、オレが口挟む必要もないし、挟む隙もあらへんのや。 単にオレが切ないだけ、か…………。 …………ハァ。 「…………せやけど」 姫条は改めて葉月の携帯を見た。彼女の名前以外はほぼ身内で占められたアドレス画面。その登録数の少なさに、姫条はもう一度溜息を落とした。 「――――コレは、アカンな」 そしてポケットから自分の携帯を取り出すと、何やら葉月の携帯を操作し始めた。 「……何してるんだ、おまえ」 十数分後。屋上にやって来た葉月は、自分の携帯を使って何やら会話中の姫条を発見した。姫条もそれに気付いて、葉月に視線を向けながら電話の相手に待ったをかけた。 「あースマン、持ち主来よったわ――――自分か。飛鳥ちゃんに聞いたんか?」 「飛鳥?……いや、何のことだ?」 どうやら携帯がない事に自分で気付いて、思い当たる場所を探しに来たらしい。 「それより、それ、俺の携帯……」 「ちーと待たんかい。もうすぐ終わるわ」 そう言って姫条は再び携帯に向かって口を開いた。 「スマンスマン。で、やな――――ん、まぁそういうこっちゃ。ほなヨロシクな〜」 そして携帯を切って、眉を顰めている葉月にそれを差し出した。 「ホレ、もう忘れるんやないで」 「あ、ああ……。それよりおまえ、今、何やってたんだ……?かけてた、よな……」 自分の携帯を受け取りながら、不快というよりは疑問の意味合いで更に葉月が眉を顰めると、姫条は何ら気にした様子もなくヒラヒラと手を振った。 「あ〜単なるお節介や。自分アカンで〜?きらめきときめき真っ盛りの現役男子高校生のケータイがこないな状況っちゅうのは間違っとるわ、ホンマに。許せへん。どーせ自分からは訊き出せへんかったんやろうけど、この姫条のニィやんに頼めばチョチョイのチョイや。感謝するんやで?」 「……何が」 「あ〜オレってホンマに気配り屋さんやねぇ。せやけど惚れたらアカンで?女のコやったら大歓迎やけど」 「おい」 「そうそう、料金は飛鳥ちゃんとのデート独占権の代償ってことで、一切の請求は受け付けへんからそこんとこヨロシクな」 「だから」 「ほなまたな〜!」 葉月の疑問に答えずに、姫条はそのままとっとと屋上を去ってしまった。 「……なんなんだ」 首を傾げて、葉月は呆然と呟いた。 その呟きが聞こえないくらい離れた場所では、姫条がポリポリと頭を掻いていた。 (ホンマ、オレってお人好しやねんなぁ。ま、たまにはこーゆーお節介もエエやろ) トントンと階段を下りながら、今度は苦笑の溜息を一つ吐いて、姫条は手に持ったままだった自分の携帯をパタンと閉じた。 こーゆーお節介。 そう姫条言うところの葉月の疑問が解けるのは、そう後の事ではなかった。 いつの間にやら携帯に登録された大量の友人知人の電話番号やメールアドレス、ちょくちょく頻繁にかかってくるその人々からの電話やメール。 そして、電話会社からの請求書の内訳と金額で、葉月は姫条の仕業が何だったのか、しみじみと思い知ったのであった。 |