大嫌い! |
ある日の放課後、学校内の花壇の手入れをしながら、守村は飛鳥に改めて頭を下げた。 「すみません、東雲さん。以前も手伝って頂いたのに」 そう言うと、ジョウロを持った飛鳥はニッコリ笑って首を振った。 「ううん、気にしないで!私は今日は暇だし、植物のお世話するの好きだし。それに守村くん一人じゃこれだけの花壇の手入れなんて大変でしょ?」 本当に気にしてないような明るい物言いに救われる気分で、けれどほんの少し苦笑した。 「……ええ、まあ、正直なところとても助かります。今日は都合の悪い部員が多くて」 「そっかぁ、でもそんな日もあるよ。――あ、ねえねえ、これはどんな花が咲くの?」 「それですか?それは――――」 「――――あんたなんか大っ嫌い!!」 突如校舎裏から響いて来た大声に、守村達は思わずその手と口を止めた。 何事かと怒声の源を目で追うと、建物の影から物凄い勢いで一人の女生徒が姿を現し、そのまま校舎口の方まで怒涛の如く突っ走って行った。 その様子を呆然と見やって、守村と飛鳥は顔を見合わせた。 「……今のって、C組の彼女、だよね……」 「ええ……ですよね……」 さてはと思いこっそり校舎裏の方を覗けば、彼女の彼氏と噂される男子生徒が、それはそれは影薄く陽炎の如く呆然と立ち尽くしていた。 「う〜ん……やっぱり昼休みの事が原因だったのかなぁ」 手入れが終わって、二人は帰り道にある喫茶店でお茶を飲んでいた。というよりそのまま真っ直ぐ帰る気になれなかったらしい。 飛鳥の疑問に、守村は頷いた。 「そうなんでしょうね。あれはちょっと……その、衝撃的、でしたし」 「う、うん。そうだよね」 差し向かう二人の頬が同時にうっすら赤くなる。 先ほど遭遇した修羅場シーンの登場人物は、現在学園内でちょっとした関心の元になっている面々の一部だった。詳しい事は端折るが、解説すると大体以下の通りである。 守村・飛鳥と同学年に属する彼と彼女(本人のプライバシー保護の為、仮にA君Bさんとしよう)は、「進展は亀並みだけどお気楽お元気な仲良しカップル」として周囲公認の仲であった。 さてここで最近になって、A君のクラスに一人の女生徒(仮にCさんとする)が転校して来た。 この辺で当人達に何やらあったらしく、Cさんは天然で女の子に優しいA君がすっかり気に入ってしまった。そして彼女は、その素晴らしい行動力で毎日毎日A君を落とそうと追っかけて誘惑して引っ付きまくるようになり、ここしばらくBさんはやきもきしていたのだ。 そしてなんと。 本日の昼休み、生徒でごった返す学生食堂で、Cさんは騙し打ちとはいえA君の唇を奪うという暴挙を見事成し遂げてしまったのである。無論、Bさん含む公衆の面前で。 その後とんでもない騒ぎに発展してしまって事態の収拾に大変だったものだが、守村達が先刻遭遇した場面はその延長だと思えばよく理解できる代物である。 「彼女……涙ぐんでましたよね……」 「うん……。彼も、見てて可哀想だった」 複雑な表情で紅茶を飲む飛鳥を見ながら、守村は立ち竦んでいた彼を思い出す。 このところCさんに追いかけられ困っていたのに、よりによって自分が隙を見せて昼休みの事件を起こした挙句、愛しのBさんからは『大嫌い!』と言われ逃げられる。守村達が声をかけてもなかなか気付かず、気付いた後もゆらゆらと千鳥足の如き危うさで校舎に戻って行ったものだ。 正直言って、常日頃あまりカップルらしい甘ったるい雰囲気とは言いがたかった彼らの修羅場に、守村は少なからず驚いた。そして感じた。わずかな羨望を。 学内で恋人同士を見る事はよくあるが、本当に感情を剥き出しにしてぶつかり合うシーンはそうそう見られない。だからこそ、本当にぶつかり合った時のその熱情が、自分にはないその感情が、ほんの少しだけれど羨ましくもあった。 それは勿論、彼のように「大嫌い」と言われるのは苦しいが。 ふぅ、と軽い溜息を吐いた時、飛鳥が独り言のように呟いた。 「でも……私も多分、同じような事になったら、大嫌いって言っちゃうかも知れないなぁ……」 「えっ?」 思わず瞬きをして、守村は飛鳥の顔を見つめる。見つめられた方は持ったカップの波紋を眺めながら言葉を続けた。 「えっと、ね。不意打ちされたとか、騙されたとか、そういうの解ってても、仕方ない、不可抗力だっていうのがちゃんと頭では解ってたとしても、感情はついていかないんじゃないかって思うんだ。今回みたいに恋愛ゆえの不可抗力じゃなかったとしても」 たとえば社会人になってから。もしくはバイトが絡んだ時。仕事に対する責任を果たす一方で、私生活や恋人との時間はどうやっても削られてしまう。相手が忙しかったら余計。 仕事は大事、それは解ってるけど、それでも恋人である自分をもっと優先させて欲しいという願いは理屈じゃ止められないもの。 そして止まってくれない感情は、時に最悪の形で吹き出す事だってあるのだ。 「でもそれって、その相手の事を本当の本当に好きだから、なんだよね」 「東雲さん……」 「最悪の形でも、本人にとって一番強い感情レベルだなーって思うし。大好きな相手に嫌いって言うのも言われるのも、すっごくつらいよ。でもそういうの吹っ飛んじゃうくらいに相手の事想ってるから、自分でも持て余しちゃうっていうか。その、上手く……言えないんだけど……」 そして零れるのは、小さいけれど深いため息。 「それって、なんていうか……つらい上に、哀しいよね……」 「だ、だったら!」 暗い色を帯びた彼女の声にギョッとして、守村は身を乗り出した。 「僕は絶対そんな事しません!好きな人を、自分の大切な女性を哀しませるような真似なんて、誓ってしませんから!」 きょとん。 珍しい守村の大声に驚いてか、飛鳥が大きな目を一層見開く。彼女の瞳に映る自分の姿を認めて、守村はハッとした。 「……あ、あの、すみません!いきなり何言ってるんだろう、僕、あははは」 白々しい笑いを浮かべながら、慌てて居住まいを正す。顔が熱い。 本当に何を言ってるんだ、僕は。 こんな事ムキになって言えるほど近い場所にいる訳でもないのに。 ……あなたが想ってるのは、僕の事じゃないのに。 今あなたにそんな言葉を紡がせているのは、『彼』だというのに――――。 照れと後悔で顔を俯かせると、ややあって力を抜いた様子の吐息が聞こえた。 「…………ありがと」 ハッとして見上げれば、そこには穏やかな微笑みが広がっていて、守村の胸は一瞬大きく跳ね上がった。 だが、続く言葉でそれも萎む。 「うふふ、守村くんの恋人になる女の子は幸せだね!」 「…………」 明らかに自分は守村の恋人対象外だと思っているその言い方からして、彼の想いは欠片ほども通じてないらしい。いや、その方が都合が良いのかも知れないが、だが。 「あ……そ、そう、でしょうか?そうだと、いいです、ねぇ」 我ながら乾いた笑みが顔に貼り付くのを自覚しながら、それでも何とか答える。 「そうだよー。守村くんの言葉ってとても信用できるもん。そんな人がそんなふうに考えてるとなれば、女の子だって安心できるよ。羨ましいな〜」 「あはは、はは…………」 目の前にいる自分に熱を与えてくれそうな人は、他の人物に熱を抱いている。その人物に到底敵わない自分も知っているから、己の想いは秘めておくしかない訳だが。 (……ここまで対象外だとそれも哀しい……) 信用されているのは嬉しいけれど、それはあくまでも友人として。 少なくとも「大嫌い」と言われる事はないが、求める意味での「大好き」が得られる事もない。 それは「大嫌い」と言われるくらいに、いや、もしかしたらそれ以上に哀しい事なのではないだろうか。 そんな事を思って、守村は乾いた笑いのまま残った紅茶をヤケクソのように飲み干した。 |