はめられた! |
具合が悪い。食糧求ム。 そんな連絡が入ったから、バイトを早退させてもらって慌て急いで来てみれば。 「……寝てるし」 チープなベッドにでかい図体を乗せて眠っているまどかを前に、アタシは乱れて額に張りついた前髪を直しながら大きく溜息を吐いた。 「アンタね〜、人呼び出しといて何自分はグースカ寝てんのよ。合鍵がなかったら入れなかったじゃん」 テーブルにドン、とスーパーの袋を置いて、ヤツを睨みつけたものの、当の本人は変わらずスヤスヤと眠っている。 寝息は普通だなぁ。顔色は……良いんだか悪いんだかわかんないし。苦しそうじゃないのは確かだけど。 パッと見そんなにヤバイ具合ではなさそうで、アタシはもう一度溜息を吐く。 「またやられた……。ったく、連勤明けで疲れてるからってアタシを小間使いにするんじゃないっての」 ただでさえ今日は……だったのに。 買ってきた食材をキッチンに持って行き、適当に冷蔵庫に突っ込む。 男の1人暮らしにしてはこまめに料理に勤しんでいるせいか、中身は新鮮かつ多様な食材で埋め尽くされている。何もアタシが買ってこなくても充分あるじゃん、と眉間に皺を寄せて扉を閉じる。 「寒〜っ。暖房費ケチってるから風邪でも引いたんじゃないの、ったく」 部屋の隅に置かれたストーブを、灯油の残りを確認してから点火すると、点き始めの弱々しい橙色が、それでも心理的に暖かくしてくれる。 その光を眺めながら、慣れたもんだなぁ、とつくづく思う。去年の今頃はこんなふうにこの部屋にいることができるなんて思わなかったもんね。 この部屋に何があるか、それぞれがどんな状態か、全部把握してるし記憶もしてる。下手すると、部屋のヌシ以上に判ってるかも知んない。志穂に言ったら「どうしてその記憶力が勉強に向けられなかったのかしら」なーんて皮肉ってたけどさ。 ようやく部屋全体が暖まった頃、アタシは着たままだったコートを脱いで、まどかの枕元に座った。 「気持ち良さそーに寝ちゃってさ。アンタ、今日が何の日だかちゃんと覚えてんの?」 くかー。 恨みを込めて言ってみたけど、ちっとも目、覚める様子ないし。 「……アタシの誕生日……なんだぞ?」 付き合い始めて初めての誕生日だから、本当は楽しみにはしてた。 でも年末が近くて、とてもじゃないけどお互いバイトを休める状況じゃなくって。そんなの判りきってたから、あえて約束はしてなかったし、話題にも出さなかった。夜に会えればラッキー、くらいの感覚。 アタシにしちゃ、かなりガマンした方だと思わない? だから、正直メールを読んだ時は嬉しくてさ。もちろん心配は心配だったんだけど、それとは反対にニヤケそうになる顔必死で隠して、チーフに一生懸命お願いして早退させてもらって、ここに来るまでずっと胸の中が暖かかったの、アンタわかってんのかなぁ? 「……だってのに、肝心の相手が寝てちゃどーしよーもないじゃん。わかってるけどさ、忙しいの」 自分の会社を持つのが夢。そんなデカくて無茶苦茶に見える夢を、アンタは少しずつでも叶えようと頑張ってる。そんな姿が好きになった理由の一つだから、とても否定なんてできっこない。ワガママなんて、いえるワケない(いや、そりゃアタシもバイト休めはしなかったけどさ)。 わかってる、フリ。理解者の、フリ。 時々ツライ時だってあるけど、それでもそのフリをすることでアンタの傍にいられるなら、それも受け止めなきゃいけないんだよね。 アタシらしくないって、言われるかもしれないけど。 仕方ないって、思わなくちゃいけない時もある。それが現実だから。 「にしても……整ってるよねぇ」 目の前にある見慣れた顔。スッキリした輪郭線に、スッと通った鼻梁。切れ長の目は今は閉じてるけど、それだってバランスいいし。子供みたいにあどけない寝顔のクセして、『男』の部分もちゃーんと見え隠れしてる。 いい男だなぁ……と、しみじみ思う。顔で惚れたワケじゃないけど、顔も惚れた理由のひとつだから、見惚れるなってのはムリだよね。 ふと、アタシはまどかの頬をちょんちょんとつつく。反応はナシ。 次に頬を軽くむに〜っと引っ張ってみる。これまた反応はナシ。 ………………。 寝てる、よね? 起きない、よね? 部屋に入っても気付かなかったし、アタシの美声でも目が覚めなかったんだし、まだ熟睡してる、よね? そういうことにして、アタシは顔をそっと近づける。ベッドに体重をかけないように、静かに距離を縮めていって――――――唇をそっと合わせた、その瞬間。 「――――!?」 突如後頭部をホールドされ、いつのまにか回されてた腕に腰ごと抱えられ、そのままの体勢で硬直を余儀なくされた。 「ちょ……ふぐ、むぐ、む〜〜〜〜〜〜ッッッ!!」 息もできないくらいに深くキスされて、どれだけ時間が経ったのかわからないくらい気が遠くなってきた頃、ようやくヤツの力が少し弱まった。 「〜〜〜〜〜〜〜ぶはっ!!――――アンタね!アタシを窒息させるつもり!?」 「先に人のクチビル奪ったんは自分の方やん」 何とかヤツの拘束を解き放って、ゼーハーゼーハーと大きく息を吸うアタシを面白そうに眺めて、まどかは返した。さっきまでの穏やかな寝息はどこへやら、ネボケまなこのカケラすらなくハッキリした顔。 このヤロー、タヌキ寝入りしてたのか! 「だからって、窒息寸前までするこたないでしょ!!」 「せやけど自分の方からキスしてくるなんてほとんどないやん。たまにはオレにもエエ思いさせたってかまわへんやろ?」 「なっ……だ、だって、そりゃいっつもアンタが仕掛けてくるからじゃん!タイミングおかまいなしで!」 「そらどっかの誰かさんが物欲しそ〜な瞳で見上げてくるんやから、男としては期待に応えなアカンし」 「物欲し……って、この天然ドスケベッ!!」 怒ったアタシにけらけら笑いながら、まどかは上半身を起こした。 あーもう、またハメられた! 付き合い始めてからこっち、なんだかんだいってコイツに振り回されてる。こんなの奈津実サマじゃない。もっとこう、こっちが振り回すくらいの女じゃないと、とてもじゃないけど繋ぎ止めておけないってのにさ。 「……で?一体何の用なのよ。このアタシを呼び出すからには、それなりの理由ってモンがあるんでしょーね?」 いつまでもそうしてるワケにもいかないから、アタシは怒りを抑えて訊ねた。その辺の呼吸は知れたもの、まどかも素直に頷いた。 「モチロン。用もないのに仕事サボらすかい。ちょい待ち、えーと……と、あったあった」 ゴソゴソゴソ。 ベッドの脇に投げ出されてたバッグから、まどかは何かを取り出す。 「ホレ、手ェ出し」 言われて両手を差し出すと、手の中にぽすんと重みが増えた。可愛くラッピングされた、小さな箱。 「……何コレ」 「何コレて、ルービックキューブに見えるかい」 「アンタも古いネタ知ってるねぇ……。って、アタシ、に?」 「このオレが一度渡したモン奪い返すような男に見えるんかい」 「やりかねないから言ってんじゃん。大体こないだだってさ」 「あ〜、エエからとりあえず開けてみい。文句はその後や」 アタシのセリフを遮って、まどかが小箱をつつく。同時に逸らされた視線に心がざわめいて、アタシは慌ててラッピングを解いた。 「……指輪?」 中に収められていたのは一つの指輪。 それも、ただの指輪じゃなくて。 「コレ……アタシが欲しいと思ってたヤツ……」 珠美と買物に行った時に偶然見つけたんだよね。可愛くて可愛くて一目惚れしたものの、予算を遥かにオーバーしてて。 仕方なく泣く泣く諦めて、ディスプレイに並んでるのを観るだけでガマンしてて。 少し経って、店頭のどこにもなくなってたから、売れちゃったんだと少なからずガッカリしてた。 それが、どうして。 どうして、アタシの手の中に。 「ちょっと前に街で珠美ちゃんに会うたん。そん時に教えてもらった」 で、今日までキープしとったん。アタシの頭の中を読んだように、まどかがあっさり答えを言う。 「…………ムリ、しちゃって……。フトコロに大打撃、だろうにさ」 ようやく出た声が、いつものアタシの声じゃない。 「アッハッハ〜、自分には敵わんなぁ。せやけど、な」 困ったように微笑う顔がぼやける。アタシの好きな顔が、形を変える。 「誕生日、やし」 ドキン。 逸らされた視線のまま、だけど目の前でハッキリわかる赤い色に、アタシは思考を奪われた。 ヤダ。泣きそう。 覚えててくれたこと、とか。ムリしてくれたこと、とか。 いろんなことが、嬉しくて。 嬉しくて。 泣きそう。 そう思ってる傍から、アタシの目から涙が零れて、伸ばされたまどかの指に触れた。 「…………ウン……その、あ……ありがと……」 「……なら、エエわ。ホレ、それ以上泣いたら化粧ハゲるで?マスカラ落ちたでろでろ顔なんて見とうないし」 「ゲッ!」 そう言われて、アタシは出されたティッシュを大慌てで目元に当てる。数滴くらいだったからいいものの、大泣きしてたら確かにムード台無しだ。 アタシの様子を見て、まどかは安心したように息を吐いてから、再び小箱をつついた。 「ま、一応フリーサイズのデザインやし、どこ嵌めてもエエねんけどな。オレとしてはここがお勧め、かな」 そう言ってまどかはアタシの手からケースを取り上げてテーブルに置いたあと、空になった左手を取って口元に寄せる。 そして、アタシの薬指にそっと口付けた。 「なっ……!!」 なにすんの、と言おうとした口は、見上げてきた視線に止められた。真摯な、逸らされない真っ直ぐな視線に。 「……スマンな、せっかくの誕生日やのになんやほとんど気張れんで」 「ま……どか……」 「せやけど、ホンマのホンマに思っとるからな?――――誕生日、おめでとう」 最後の言葉は、耳元で囁くように。 ね、知ってんの? その声聞くたびに、アタシのココロが枠の中に嵌められていってるってこと。 強がり言ったって、怒鳴りつけたって、抵抗したって。 その声一つだけで、『アンタが好き』っていう枠に嵌ってってんだよ? それ、ちゃんと知ってんの? アタシの想いなんかわかってるんだかわかってないんだか、まどかはそのままアタシの肩に頭を乗っけたまま動かない。 愛しさがこみ上げて来て、思わず抱きしめたくなった、そんな時。 ふと、気付いた。 「……まどか」 「…………」 「ちょっと、まどかってば」 「……あ〜……」 「ちょっとアンタ!」 「ウルサイわ……耳元で叫ぶなや……」 ぐったりした声で響いてくる返事に、アタシはガバッとヤツの体を押しのけた。 「アンタ、熱あんじゃないの!!」 「……せやから言うたやろ?具合悪いて……」 頬に触れた体の熱さ。真っ向から睨んでも、その目は焦点が合ってない。 確かにメールにはそうあった。けどこの流れからそんなの冗談だと思ってた。 「……てことは、『食糧求ム』ってのは……」 「そら自分、今オレが包丁握ったら指ツメるわ……」 つまりなに?アタシってばコック?料理人?それとも家政婦? そりゃまあ、こんな嬉しいプレゼントもらっちゃったし、それもやぶさかではないけどもさ。 なんにしても、だ。 「――――とにかく寝てろ、このバカッッッ!!」 脳天直撃の怒声でクラッと来たまどかをすぐさまムリヤリ寝かしつけて、その後アタシはキッチンで食材と悪戦苦闘する羽目になった。 こういう誕生日もまた良いもんだ、果たしてそう思える日が来るのだろうかと、おかゆの火加減を調節しながら、アタシは溜息をついた。 ちらりと振り返れば、まどかがだるそうにベッドに横たわっていて、その前に置かれたローテーブルにはひとまず置いたままの指輪がひとつ。 それを目に留めてから、アタシは左手を口元に寄せる。 見えない指輪を嵌められてしまった薬指にこっそりとキスをして、後ろのアイツに聞こえないように小さく笑った。 |