間接キス |
恋をすると、そんな事にまで妙に過敏になってしまうものなのか。 「……なにムスッとしてんだよ」 鈴鹿が目の前の補習コンビの相棒にそう言うと、問われた姫条は憮然とした顔のままでボソッと返した。 「べつにムスッとなんかしとらんわ」 「してんだろーが。それになんだよ、そのシャツに貼っつけたバンソーコー」 ズズ〜ッと紙パックの牛乳を飲みながら、鈴鹿はなおも言う。相方がムスッとしてようがブスくれてようが正直言ってどうでも良いのだが、椅子に横座りし、尚且つ後ろの鈴鹿の机に頬杖をついている状態の姫条が何気に目に入るので、気になってしょうがないのである。 ついでにその胸元のシャツに貼られた不自然な絆創膏も。 「……昼休み始まってすぐ、階段のトコで葉月にぶつかってん」 「――――は?」 いきなり話を始めたので鈴鹿は眉をひそめた。 何でも階段を下りようとしていた姫条がふとよそ見をした時に、こちらは階段を寝ボケまなこで登ってきた葉月と衝突してしまったらしい。 といっても、お互いのウェイトの関係上、葉月が階段から転落する事もなく一段ほど退いただけで済んだ。せいぜい顔面を男の胸板にぶつけて葉月が謝りつつも非常に深い皺を眉間に浮かべていたくらいだ。 「それっくらいでムカついてんのか、ひょっとして」 「違うわ。そのあと昼飯食うてから、今度はあのコにぶつかってん」 「あのコって……東雲か?」 何でも廊下の曲がり角でバッタリドスンとぶつかるという、少女漫画お決まりの黄金パターンのシチュエーションで、氷室学級のエースである彼女と衝突してしまったらしい。 咄嗟に支えたおかげで彼女が廊下に倒れ込む事にはならずに済んだが、顔面を強打した拍子に彼女の付けていたリップがしっかり姫条のシャツに付着してしまった。慌てた彼女はこれで隠してくれと言って手持ちの絆創膏をくれたので、夏服の上に体育もなく他に着る物のない姫条はそれで当座をしのいでいる訳なのだが。 「っておまえ、シャツ汚れたくらいで怒ってんのか?バッカじゃねーの」 「アホ。女のコ、それも飛鳥ちゃんが相手やったらそんなんいくらでも受け止めたるし、シャツかて汚されても構わんわ。オレがムカツいとんのは、その後のオレ自身の発想や」 「はぁ?」 真っ赤になって、それでも必死で謝ってくれた彼女と別れて、貰った絆創膏をシャツに貼ろうとして(そっちの方が目立つという説もあるが)、ふと姫条は気がついた。 先刻、葉月の顔面に存在するあるパーツのぶつかった箇所。 そして今さっき、彼女の唇を彩るリップが付着した姫条のシャツの一点。 (…………同じやんかーーーッ!!) そうなのだ。 見方を変えればいわゆる『間接キス』というヤツなのである。 あくまでも単なる偶然なのだが、そのあまりにも作為的な偶然に気付いてしまった姫条は、そんな事に気付いた自分自身に腹を立てていたのである。無論、その内容とそれに気付いているのが自分だけ、という事実に関してもだが。 「オレの胸を介して二人が間接キスしとるなんて発想、浮かべんで済んだら浮かべとうなかったわ」 「…………おまえ、バカ?」 気色悪さ大爆発の言い方に、心からの呆れっ面で思わず口にしたが、姫条は深い深〜い溜息を落として目を閉じた。 「せやなぁ。はぁ〜、今回ばかりは自分に言われたんでも甘んじて受けたるわ」 姫条が東雲にひとかたならぬ好意を寄せているというのは何かの折に小耳に挟んでいたが(ついでに葉月と東雲がかなり良い関係である事も)、恋が絡むとこんなヤツでもこんな妙な事を考えるものなのか。顔もいつものおちゃらけモードとは違って、真っ剣にトホホなツラである。 その内ブスくれているのに飽きたのか、姫条は頭をかきむしって首をブンブン振った。 「あーもう情けな!こないな虚しいコト考えとったって役にたたんっちゅーねん!」 「――――ってオイ、それオレの牛乳だぞ!」 勢いのままに姫条が手に取り、一気に飲み干したのは、彼の右手のすぐ横に置かれていた鈴鹿の牛乳パックであった。 「――……ゲゲッ!?しもた、何が哀しゅうて和馬と間接キスせなアカンねん!!」 「そりゃ俺のセリフだ!つうか気持ち悪ィこと言うんじゃねえよッ!!」 恋をすると、こんな事にまで過敏、もとい馬鹿になってしまうものなのか。 だったら俺はぜっっっってーにこんなふうにはならねえ。 そうだ、なってたまるか。こんなバカにはなってたまるもんか。 ギャーギャーと喧嘩を交わしつつ、のちに彼女から電話がかかってきただけで椅子から転げまくる事になる鈴鹿和馬(17歳・バスケ部所属・一部生徒内でのあだ名=バカズマ)は、その瞬間心の底からしみじみとそう思ったそうな。 |