赤い跡 |
――――不覚。 「あっ!……やられた」 「どうした?」 「蚊。腕、刺されちゃった」 夏服に替わったばかりの昼下がり、いつものように校舎裏で珪くんとお弁当。……はいいんだけど。 「まだ涼しいのに、もういるんだなぁ」 なんかいや〜な羽音が聞こえたと思ったんだよね。でも見回しても敵は見つからなかったし、気のせいかと思って油断したのが運の尽き。 刺されてしまいました、ええ。 もはや虫除けが欠かせなくなってきた、ということかな。うん、夏の到来も間近。……こんな風物詩はいらないけど。 「どこだ?刺されたの」 「右腕。ここ」 わずかに眉を顰めて訊いてきた珪くんに、右の二の腕の内側を示す。見れば刺されたばかりだというのに既にぷっくりと腫れてきていた。 「う〜、今シーズン最初だからまだ免疫できてないのかなぁ。〜〜うう、かゆい〜!」 言った通りで、みるみる内に赤くなっていく跡を見ていると、それだけで痒くなってきてしまった。ううん、実際にむずむずしてきて、必死でかきむしりたい衝動と戦う。 「……掻くなよ、余計腫れる」 「わかってる。でも痒い〜……」 微妙に制服の袖に隠されない場所で、実に厄介極まりない。大げさだけど、すぐに保健室に行って虫さされの薬を塗った方がいいかも知れない。 虫さされの跡って、女子高生の肌にはすーっごくなさけない代物だもんね。 しかし。 そう言って、善は急げと立ち上がろうと思ったところ、肝心の右腕をつかまれた。 「珪くん?」 つかんだ本人はジッと刺された跡を凝視している。 「どうかした?」 はて?と思ったその瞬間。 彼はいきなり私の腕――正確には刺されたその場所に唇をつけて、きつく吸い上げた。 「――――けッ、けけけけけけ珪くんッッ!!?」 ななな、何事ですかぁーーーっ!? い、今、一体、な、何が起こってるんですか!? ていうか、あのっ、私の目の前、十数cm先に、あの繊細な睫毛とか柔らかい髪の毛とか、一本一本判別できるくらいに近づいてるんですけどーーーっっっ!! しかも珪くん、なんでそんなに真剣そうな……というのを通り越した悩ましげな表情で瞼閉じてるのぉーーーっ!? 右腕をしっかりホールドされ、彼の唇の感触を実感するどころじゃなく(って私何考えてるのっ!?)動くに動けずわたわたと頭に血が上った状態の私を無視したように、珪くんはその行動を続けている。 自分で自分の心臓が破裂しないことを褒めてやりたくなった頃、ようやく彼は唇を離してくれた。その場所を見れば、虫さされとは違った赤い跡がくっきり残っている。 「な、な、なに、なにを……っ」 「……消毒」 「しょ、しょうどく?」 漢字すら忘れるほど動揺した私とは反対に、彼はいつものように淡々と言った。 「これだけ吸えば、毒も出ただろ」 いや、さすがにそれは無理だと思う。 ……と言いたかったけれど、やっぱり私の頭は沸騰していて使い物にならず。 ようやく出て来たのはなんだか変な言葉。 「……唾つけとけば治るって、いうもんね……」 「……ああ、だから実験」 実験体ですか、私? でもそれにしたって、この場所は非常に目立つんですけど!? 袖に隠れきれない微妙な位置につけられた、二つの原因を併せ持った赤い跡。 いくら私が鈍感だといっても、さすがにどうかと思うんですが……。 「ん?」 なのに当の本人はすっごく『いつもどおり』の表情で不思議そうに私を見返すだけで。 ……わかってる。 こういう人なんだよね、わかってる。けどね。 それにしてもどうしよう、と軽く頭を押さえた時、なぜか脳内でなっちんがツッコんだ。 『首筋じゃなかっただけマシじゃん』 …………そういう問題? |