誰もいない部室 |
「……ここにいたのか」 葉月が手芸部部室の扉を開くと、窓際で彼の尋ね人が椅子に腰掛けていた。逆光でよくは見えないが、葉月が入って来ても気付かないという事は、おそらく眠ってでもいるのだろう。 「予想、当たったな」 つい先ほど今日の授業が終わったばかり。最後のコマの選択授業が異なる事と、彼女の授業が自習だった為、どこか静かな場所で勉強しているか眠っているかしているだろうと考え、自身の授業が終わると同時に探しに来たら案の定だ。 「日当たりいいもんな、ここ」 静かに扉を閉め、葉月は窓際に近づく。近づくごとに規則正しい呼吸が聞こえてきて、予想通り彼女が眠っているのだと判る。他には誰もいない、静寂に満ちた部屋。程好く効いた暖房と差し込む初冬の太陽は、確かに眠気を誘うには充分だ。 「それに頑張ってるしな、おまえ」 我知らず表情を弛ませながら、葉月は独り言のように呟く。 文化祭は既に過ぎ、高校最後の期末試験もつい先日終わったばかり。あとはクリスマス・年末年始を挟んで受験に向けてのラストスパート、という時期に来ていた。目の前の少女はその優秀さに決して驕る事もなく、日々努力を続けている。疲れているのも当然だろう。 ――――ぽてん。 「……ん?」 なおも傍に寄ろうとした時、彼女の膝の上から何か軽くて柔らかい物が落ちて、葉月の足元まで転がって来た。 「……毛糸?」 丸まった仔猫にも見えた不恰好な球体のそれは、白い毛糸だった。見れば彼女の手には何やら編みかけの物体とそれに編み込まれたままの編み棒が握られている。机に勉強道具の一切が乗っていないとなれば、この自習時間ずっと編物をしていたという事か。 「……おまえ、この忙しいのに何を……」 ――――ね、珪って何色が一番好き? 疑問に眉を顰めかけて、ふと思い出した。数週間前、帰り道で何かの拍子に彼女から出た質問。 ――――色?そうだな……白、かな。 ――――あ、やっぱり?うん、わかった! ――――……何が。 ――――えへへ、秘密でーす! 目の前にある毛糸の色。それはあの日話題に上った白で。 「おまえ……まさか」 顔の温度がわずかに上がる。 (……自意識過剰、なんだろうか) 忙しくて疲れている中、自分から隠れるように部室に篭って編み続けているそれは、誰に渡される物、なんだろう。 自分自身に?他の誰かに?家族とか、友人とか。 けど、その手に大事そうに持っているそれは、俺が一番好きな色で。 「まさか……な」 穏やかに眠る彼女の隣に自分も椅子を並べて、同じように座る。 期待してはいけない。どうせ叶う事はないのだから。 長年の経験からそう思おうとしても、それでもマフラーには幅広過ぎる白いぬくもりに期待は膨らんでしまう。 なぜなら彼女はいつも、期待していたよりも遥かに大きな喜びをくれるから。 だから、つい。 「期待……して、いいのか?」 耳元で囁くように呟く。 すると、それに応えるように彼女の頭が葉月の肩にこてんと寄り掛かってきた。 その確かな重さと、それでも起きない事に安堵の微笑みを浮かべて、葉月は彼女の頬にかかった髪をその長い指先で掬い上げた。 「……するからな、期待」 どうか。 どうかおまえだけは。 いつだって。 「……部長、ど〜します?」 十数分後、部室に入らんとしていた数人の手芸部員が、開けられた扉の前で立ち止まるのを余儀なくされていた。 「……どうもこうも」 部長、と呼ばれた女生徒は、この上なく呆れた表情で返す。そしておもむろに他の生徒たちを睥睨して、一言。 「誰か馬に蹴られたい人、いる?」 返ってきた沈黙は否定の証。 授業が終わり、部活動の傍ら皆でわいわい騒ごうと思いきや、中にははば学名物『付き合ってないカップル』の二人がそれはそれは幸せそうに眠っておられるとあっては、そんな訳にもいくまいて。 しかも片方が我が手芸部々員全員の敬愛を集める彼女とあっては尚更だ。 部長は鞄から取り出したルーズリーフに『本日の部活は急遽休み!(※開扉は静かに!)』と殴り書き、再び閉められたドアにぺたんと貼って、部員達を誘ってその場を去って行った。 「本当に本当にごめんね〜っ!!」 すっかり暗くなった帰り道で、彼女はひたすら葉月に謝り続けていた。 結局あのまま誰一人として起こしてくれる者も無く、下校時刻になって見回りに来た氷室にお説教を喰らうまでスヤスヤと眠り続けていた。それに加えてその間葉月の肩を借りっぱなしだった事を、彼女は深く反省していた。 「べつに、気にするな。よく眠れたんだろ?なら、いい」 「ううぅ〜。それはそうなんだけど、でもいくらバイトがない日だからってずっと待たせちゃうなんて……」 「俺も寝てたし、お互いさま。……それより」 「ハ、ハイッ!?」 必要以上に過敏に反応する様子がおかしくて、葉月はかすかに笑う。 「おまえ、さっき持ってたあれ……」 「あ、ああああれって、ななななんの事でしょう!?」 やっぱりツッコまれると覚悟していたのか、しかしサラリと流せる彼女でもない為に、これまた怪しさ大爆発なくらいに動揺してしまい、その様に葉月が一層笑う。さっきも目覚めてすぐ、いつもの彼女からは想像できない勢いで、必死に手に持った編物道具一式を仕舞っていたものだ。 「いや、あれ……いい色だな」 葉月はそんな彼女に構わず続けた。 「――――え?」 「それとなくアイボリー入ってて、見た目も暖かそうだって、思って。好きな色だ、俺」 葉月がそう言うと、彼女の顔は一気にパァッと明るくなった。 「ほ、ほんと!?本当にそう思う!?」 「ああ。……自分の?」 何気ないフリをして訊いてみると、満面に浮かんだ笑顔が一瞬にして強張る。代わりに浮かぶのは、実に焦った表情。ダラダラダラと汗の音まで聞こえてきそうだ。 「えっ!?え、えっと、えっと……自分のでは、ないんだけど」 「ふぅん?尽のにしては、デカイよな。父親、とか?」 「その……お父さんの物、にならないことを祈ってる……かな?」 真っ赤に染まった顔で、困ったように首を傾げて言葉を紡ぐ。ほんのわずかに、彼を見上げて。 「迷惑かなぁ、とか思うんだけど、でも、私にできるのってこれくらいだし、少しでも喜んでもらいたいとも思っちゃうの。だから、その……」 その問うような視線を受けて、葉月は力を抜いたようにフッと微笑った。 「そうか。……多分、叶うと思う」 「え?」 「その祈り」 「……ほんとに?」 「ああ。おまえが作った物だし。貰う奴、幸せだな」 「あ、あのね!」 彼女は再び満面の笑顔を浮かべて、葉月を真っ直ぐに見つめてきた。 「この色ね、この色が好きだっていう人にあげたくて選んだの!私が大好きな色だから!」 ああ。 期待、していいんだ。 彼女には。彼女の前なら。 「そうか。……けど、無理するなよ?」 「大丈夫!好きって気持ちの前では、多少の無理は吹っ飛ぶのです!……って、そのっ、この色が大好きって意味で、その、あの、深い意味はあるようなないような、なんだけど!」 どっちなんだ、と訊きたかったが、慌てふためくその顔がとても暖かい色に染まっていたので。 葉月はただ笑い声だけを返して、彼女と共に坂道を下っていった。 その片手には、ぬくもりを紡ぎ出す小さな手をそっと繋ぎ止めたまま。 |
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