小話1〜彼女の弱点 |
「ふと思ったんだけどさ、――日比谷の弱点って、何なんだ?」 放課後、何とはなしにウチの部室=報道部々室に例のごとく集まっていたいつものメンツの一人から、いきなり何の脈絡も無くこんな言葉が飛び出した。 「尽……女の子の弱点を暴こうなんて、男として最低だね」 案の定、紺野が素晴らしいまでの笑顔と恐ろしいまでのジト目で相方を見下した(立ってたから間違いではない)。 「暴くとかそういうんじゃなくて、単なる好奇心だよ」 「そんな無駄な好奇心、今すぐ校舎裏の焼却炉に捨てて来なよ。本当に、人としても最低だね。――はい、丁度ゴミも溜まってるから一緒に捨てて来て」 そう言って、紺野は部屋の隅にあった巨大なゴミ袋を東雲に投げつけた。 「うわっぷ!おい玉緒、いきなり投げるな!つーかなんで俺が」 「あー助かるわ。さすがは女の子に優しい東雲会長、今現在この部室にいる唯一の部員かつ女であるあたしに代わってゴミ捨てて来てくれるなんて、ホント感激だわ。そうそう、そっちの袋も頼むわね」 何キロあるか判らないゴミ袋を、驚きつつもしっかりキャッチした辺りはさすがだが、あたしが持っていたペンで更に別のゴミ袋を指し示し、棒読みで上記のセリフをスラスラ言うと、さすがに東雲は渋面になった。 「あのな……」 が。 「あ、尽君。ゴミ捨てに行くなら途中の自販機で飲み物買って来て」 ハイお金、と日比谷に小銭を差し出され、反論しようとした東雲は一瞬黙り、数秒後には深いため息を吐いた。 「……烏龍茶だな?」 「Yes, sir. お願いね」 にこやかに笑う日比谷から完全諦めモードで小銭を受け取り、東雲はゴミ袋を引っ掴んで部屋を出て行った。 「はー、結構溜まってたからホント助かった。紙が多いから重いのよね、ウチのゴミ」 「山田……前半のそれ、直接言ったら?『普通に』」 それ、というのは「ありがとう」の意。 「いちいち言わなくたって構やしないでしょ。言うだけ面倒」 「そうそう。第一、今更山田さんが尽にそんなセリフ言っても、思いっきり怪訝な顔して裏の裏の裏を読もうとするだけだろうしね」 「言うじゃない紺野」 にっこり。 「山田さんほどじゃないよ」 にっこり。 「……その辺にしといて。私が寒い」 凍える笑顔の応酬をしていると、脇から日比谷が呆れたように主張した。 「それもそうね、オモチャも居ない事だし」 「そうだね、続きはオモチャが戻って来てからってことで」 再び、今度は揃ってにっこり。 「…………あなた達って仲が良いんだか悪いんだか判らないわ、時々」 「失礼な。こんな性悪野郎と仲が良いと思われるなんて心外ね」 「あはは、それはこっちのセリフだったりするかも知れないよ?」 「……だからその辺にしといてよ……」 今度は本当に呆れた様子だったので、あたしと紺野の心暖まるコミュニケーションはひとまず終了した。 「でも正直なところ、僕も興味あるけどね。日比谷さんの弱点」 備え付けの冷蔵庫から勝手に飲み物を取り出しながら、紺野は言った。どうでもいいけど、あんた他人の部室だって解ってんのかね。 「女の子の弱点を暴こうなんて、男としても人としても最低なんじゃなかったの、紺野サン?」 言質を取って攻めるも、目の前の男はいつものごとく喰えない笑顔でにっこりと宣うた。 「興味があるって言っただけだよ。知りたいなとは思っても、自分から知ろうとは思わないし」 「つまり、東雲を生け贄にして旨いところだけピンハネしよう、と」 「ついでに尽君で遊べば一石二鳥ってところかしら」 「あはは、二人とも言葉が悪いなぁ」 「要はそういう事でしょうが」 しかしまあ、気持ちは解らんでもない。『アレ』で遊ぶのは愉快だし、日比谷へ対する興味も頷ける。 「確かに日比谷って弱点なさそうだしね。自分ではどうよ、その辺の認識」 話を振ると、日比谷は一瞬だけキョトンとしたがすぐに腕を組んで考え始めた。 「弱点、ねぇ……。正直、弱点があるのは自分が許せないから絶対に克服してやるって心構えでいるし……。うーん、よく判らないわね、自分では」 首を傾げに傾げた末に出されたその言葉通り、自分では思い当たる節はなさそうだ。 「一般的に、ベタな弱点って言ったら何だろう」 「ベタな弱点ねぇ。代表的なところだと、まず――虫?」 「虫?バッタだろうが蛾だろうがミミズだろうがゴキブリだろうが、全然平気よ。さすがに突然目の前に現れると驚くけど。あ、真夜中の真っ暗な台所に巨大なネズミがいてカップ麺かじってた時も驚いたっけ」 「それはあたしだって驚く」 ていうかネズミは虫じゃないだろう。 「雷は?」 「光は見惚れるし、音は景気良いなーって思うだけね」 「霊関係」 「そんな居るか居ないか判らないもの、怖い訳ないじゃない」 「……そういえば、中等部の林間学校での肝試し、3年の時だっけ?ホラ、幽霊だか何だかが出たとか大騒ぎになったやつ」 「ああ、あれね。そういや女子がほとんど怯えてる中で、日比谷は冷静沈着組だったわね。皆を落ち着かせながら情報聞き込みして、その後居なくなるからどうしたかと思えば、コース途中で潜んでた痴漢ぶちのめして引っ立てて来たって言うアレ。もはや伝説よね」 「私だけじゃなかったのにねぇ、捕縛人。尽君だっていたし、他にも腕っ節の強い男子や先生もちゃんといたのに」 しかし率先してしょっ引きに行き、挙句犯人の股間蹴り潰してトドメ刺したのはあんただ。ていうか、普通は女の子を連れてかないんじゃないの?当時の引率教師達よ。 ま、それはさておき。 「勉強と運動、それに料理はあんたの場合そもそも弱点に成り得ないし」 「音楽や美術は普通だけど」 「弱点ってほどではないでしょう」 「苦手な食べ物とか」 「特にないわね。嫌いな物はあっても食べられないって事はないし」 「匂いは?」 「生ゴミ系と公害並みの香水はさすがにちょっと」 「それは大抵の人が苦手だと思うよ。病気とかアレルギーとかは」 「そんなものに縁があると思う?このウルトラ健康優良児に」 「そうね、冬に風邪にかかったくらいかしら。健康って良い事よね」 「蛇とか蛙とかのナマモノは?」 「生物はすべからく興味深くて好きよ」 「スプラッタ系は?血とか内臓とか」 「苦手だったら医者になろうだなんてハナから思わないわよ」 「ヘドロ系」 「気合入れて綺麗にしてやるっていう気概が沸くわね。挑戦されてるみたいで悪くないわ」 どういう理由だ。 「閉所恐怖症」 「体が動かせなくて鈍るって意味なら、嫌いだけど」 「暗所恐怖症」 「寝る時は暗い方が落ち着くわね」 「先端恐怖症」 「怖かったら毎日出刃包丁持って料理なんてしてられないわよ」 「高所恐怖症」 「高い所に上ると気分が爽快になっていいわよね」 「まんじゅう」 「落語通りの意味で食べるわね」 等々。 以下あれこれと続いたけれど、即サクッと返されて終わってしまった。 「……つまんないわねぇ。全然弱点らしい弱点が無いじゃない」 「私の弱点は山田を楽しませる為に存在する訳じゃないんだけど?」 「でも、何だか日比谷さんらしいよ。期待を裏切らないって言うか、逞しいな。あ、これ褒め言葉だからね」 「女の子向けの褒め言葉じゃないんだけど?」 「日比谷向けの褒め言葉ではあるけどね。――――とまあ、そういう事で、期待できるような弱点は無さそうよ、彼氏さん」 「え。…………あら尽君、帰って来てたの?」 ぐるりとドアの方を振り向けば、ムッスリ御機嫌ナナメ顔の東雲が一人。 「おっまえら……人の事は散々けなしといて、自分らはそれかよ」 「何言ってんの。あんたが訊いたら『そんなくだらない事訊いてる暇があったら勉強でもしなさいよ』って一蹴されるところを、わざわざあたし達が訊き出してやったんじゃない」 「そうそう、お礼を言われこそすれ、責められる筋合いはないよね。大体、そんな所に突っ立って立ち聞きなんて、本当に趣味悪いね。救いようがないや」 「……ホンットお前らは……」 それだけ言って、東雲はドアにゴツンと頭をぶつけ心底くたびれたような溜息を吐いた。 実際、東雲が直接日比谷に一対一で訊ねたとしても、似た様なセリフで切り捨てられるだけだ。日比谷歩とはそういう女である。 それを解ってるから東雲もそれ以上は言えない。日比谷も図星を差された様子で明後日の方向を見ながらカリコリと頭を掻いている。 「……ハァ、もういい、今日は帰る。日比谷、そろそろ行くぞ」 やがて諦観の境地から立ち直ったのか、だるそうに頭を起こした東雲が日比谷に声をかけた。 「え、もう行くの?あと一問片付けたいんだけど」 「それくらいウィニングでも出来るだろ。俺は早くこの毒々しい空間から立ち去りたいの。先に昇降口行ってんぞ」 「あ、ちょっと!遅れた分奢らないとか言わないでしょうね!?」 「言わないって。先週のテストは見事に負けたからな、ちゃんと奢らせて頂きますって」 「とかいって私の烏龍茶持ってかないでよ!――ごめん、そういう訳でお先に!」 さっさと踵を返した東雲に、慌てて日比谷が即座に荷物をまとめ帰り支度を済ませる。相変わらず、惚れ惚れするほどの切換えと行動の速さだわ。 「ええ、また明日。しっかりタカってやんなさいよ」 「気をつけて帰ってね。途中で尽に襲われたら、思い切り股間蹴り砕いてやっていいから」 「あはは、そうならないように気をつけるわ。――――っ、と」 部屋を出ようとした日比谷が、思い出したように立ち止まって振り返った。 「……ありがと、2人とも」 ニッコリ笑って言うもんだから、あたし達も同じようにニッコリ笑って返した。それを見届けた日比谷は今度こそ東雲を追いかけて部屋を出て行った。 「行っちゃった。『どういたしまして』、言いそびれちゃったね」 「最強のボディランゲージで通じてるからいいのよ、そんなのは」 「同感」 クスクス笑う紺野にあたしはフフンと笑って言った。 「やっぱり、まだまだ東雲には日比谷に負け続けててもらいたいもんねぇ」 「そうだよね。日比谷さんに勝つ尽なんて、姫条さんの笑えないギャグよりつまらないもんね」 姉及びその旦那経由で交流のある某はば学OBをこき下ろし、紺野はおっとり頷く。(そこで引き合いに出される姫条氏のギャグってのもどうなんだか) 「ところで、東雲の奴、いつ気付くと思う?日比谷の弱点」 「そうだねぇ……」 あたしが訊くと、紺野は少し考え込むように指を顎に当てたが、程なくして答が出された。 「ま、当分自分じゃ気付かないんじゃない?付き合うきっかけって言うか、その時刷り込まれた印象が強烈だから、そこまで気が回らないと思うよ。自分の方が日比谷さんに負けてるって、常々思ってるみたいだし」 そう言う紺野の言に、あたしは得たりとばかりに頷いた。 「やっぱりそうか。こりゃ賭けにならんね」 「ならないね」 にっこり×2。 「ベタだねぇ」 「ベタだよね」 「ま、でも日比谷だし」 「うんうん、日比谷さんだし」 「負けたくないって思ってる内は、黙っててやるのが友人の務めだろうねぇ」 「務めだよね」 「じゃ、まぁそういう事で」 しばらくは、日比谷の弱点は我ら2人以外には謎のままにしておこう。 本人が弱点である当人に自ら打ち明けるまでは、ね。 「友情だねぇ」 「友情だよね」 そして再びにっこり笑い、互いに手に持ったペットボトルをベコン、と打ち鳴らし。 ――――愛する我らが友へ、乾杯。 |